2014年3月23日日曜日

  室 戸 桜


室戸桜の来歴について                

 「室戸桜」は平成134年頃、室戸スカイライン(室戸市領家弘山)沿線を、私、多田運が散策中に目に留まり、ただ奇麗な花だなーと思うがままに比べる花もなく数年が経ちました。


       

            「室戸桜」原木・背景に四十寺山遠望

                
  


平成16年、季節の悪戯か山桜・オオシマザクラ・染井吉野までがほぼ同時に咲きました。この時を逃してはと思い、初めて他の花々と比べる事が出来ました。比べてみると、他の花に劣らないことを知り嬉しく、当地の室戸を冠して「室戸桜」と名付けると共に多くの方々に愛でてもらいたく思い、増殖につとめています。

この花の特徴は、花弁の先の突起


 さっそく友人、松本忠博氏を通じ牧野植物園の技官小林史郎氏に同定をお願い致しましたところ、以下の様なコメントを頂きました。参考までに添付致します。

 「松本忠博様
室戸で見せて頂いたサクラについて:
苞・萼裂片に鋸歯がある、葉の鋸歯が芒状に細く尖る、花が葉よりも少し早く開く、というオオシマザクラの特徴を持っています。若葉の色が赤い点はヤマザクラを思わせますがそれ以外はオオシマザクラと同じですので、オオシマザクラの変わりものと考えた方がよいのではないかと思います。なお、当園にはサクラの専門職は居ないものの重複しますが、オオシマサクラと山桜の自然交雑種であり、新種といえるのではと思います。                       牧野植物園技官 小林史郎」

  また、京都市都市緑化協会・事務局長 小林義樹氏を通じて「植藤造園」日本の桜守・佐野藤右衛門氏に最初に頂いたコメントは(アメリカ・ワシントン州のソメイヨシノざくらから名付けられた「アメリカ曙桜」に良く似ているので、曙を冠したらとの、ご教示を得た)経緯があります。

  平成19年3月31日、佐野氏が当地を来訪され、原木を見てのコメントは曙桜ではなく、山桜の個体優品種と思う、と云われました。

  同20年、佐野様に苗木と種子をお送り致しました。その礼状には、以下のような文面が添えられていました。

  多田運様
 苗木と種子を有り難う御座居ます。御地の山桜は、通常の桜と少し異なるのは、花梗が長く花も大輪ですので、御地特有の物と思われます。大切に育てて下さい。
種子からも同種が出るか楽しみにしています。又お伺いする時があるとおもいます。まずはお礼まで。                           
                                                          佐野藤右衛門
 


  平成18年以降、この室戸桜を植樹した所は、財団法人C.W.ニコル・アファンの森(15本)・国立室戸少年自然の家(25本)・室戸二千本さくらの会(15本)・私個人が気ままに植えたのが(7本)で都合62本を植樹いたしました。

  昨19年は、接ぎ木失敗で、植樹0本でした。

  平成20年は、永田様をはじめ、佐野藤右衛門様、京都市都市緑化協会、同協会勤務
の太田周作様(元NHK趣味の園芸講師「室戸市出身」)大阪在住、室戸市内の方々。
計55本の植樹でした。

  平成21年 香美市・技研の森(80本)植樹

 平成25年 室戸市に「四十寺山・桜美人之会」発足。四十寺山に30〜40植樹
尚、同会は桜の周辺にツツジの植樹を同時に進めている。
 
 平成26年室戸桜40本、ツツジ100本植樹をしました。



第1回室戸桜植樹祭





               第1回室戸桜植樹祭の面々








2014年3月1日土曜日

室戸市の民話伝説 第47話 乞食一代出世

  第47話 乞食一代出世

 何時もながら、昔々の噺ですらぁ。吉良川村に大層な長者があった。長者とは、何を指すかと言うと、急に雨が降ってきて、人が傘を借りに走り込んで来ても、何時でも千人に雨傘を貸せんと長者とは言えん。それからもう一つ、いつ千人がやって来ても、その時、それらの人に食わす冷飯《ひやめし》がないと、長者とはいえんそうじゃ。
 所が、この長者の家に、二十歳《はたち》前後の男が、縁の下で残り物を貰って暮らしよった。
 ある晩、乞食は長者の屋敷に、三人の賊が忍び込むのを見てしもうた。
 (こりゃどうしよう。いがろ《叫ぶ》うか)と、思案しっよったが(今いがったら、命がのうなる。黙って見よろ)と見よったら、賊が千両箱を担いで出て行くので、まぁ兎に角後を付けてみようということにした。
 道を東へ三丁ばぁ行くと東の川へ出た。その川の橋のたもとへ下りると、川の中へ千両箱を沈めちょいて姿を消した。

           絵  山本 清衣

乞食は、そこまで見届けちょいて、縁の下へもんて来た。
 間もなく、夜が明けた。長者の家じゃ、千両箱が三つ盗まれたいうて、上を下への大騒ぎ。一の番頭、二の番頭、三の番頭も、コマネズミみたいに走り回りよる。乞食が何時ものように、勝手場へ残り物を貰いに行くと、女中が「おまさんに飯どころじゃあるもんか。夕べ夜中に泥棒が入って、うげごとかやっちょる《上へ下へと大騒ぎ》。旦那さんさえ朝飯はまだぞね」と言われると、乞食はじーっとしらばえ《考え》ちょって「実は、儂《わし》やぁ、親代々易者の家でございますが、おなん《母》がなさぬ仲で家を飛び出し、こうしてお宅の厄介になっちょります。当たるも八卦当たらぬも八卦と言いますきに、こういう時にお宅のお役に立ったら幸いです。ひとつ易を立てさして呉れませんろうか」
 こうおなごし《女衆》に言うたら、おなごしは番頭へ、番頭は主人へと継いだ。主人は「そりゃ、当たらいでもともとじゃ。どんな人が、易を当てるか分からん。みてもらえ」と、言うことになった。
 乞食は、勝手元で、箸を借りて卦を立てた。そうして重々しうに「これは、ご心配なく。手に戻ります。千両箱は東の川の橋の元の川底に沈んじょるという易がでました。行って見てつかぁさい」という。さっそく番頭を走らせたら、川の底から千両箱が三つでてきた。
 長者は、たかで悦びこけて、「どうぞ家の客分になって、いつまでも暮らしてつかぁさい」と下へもおかん持てなしよう。おまけに、『見目見透《みるめみとう》しの易者様』と、近郷近在へ触れ回った。
 これでこのまま終わったら、問題はなかったけんど、この国の殿様が持っちょる『千鳥の衣』という宝もんが紛失した。
そこで早速にも「評判に高い見目見透しの易者を呼べ」と、いうことになり、三人引きの早籠で使者がやって来た。乞食から今は易者となった男は(嘘というもんは、つくもんじゃないよ。本当の事をいうちょったら、一生客人で楽に暮らせたもんを。これで殿様の前へ出たら、易は当たらんき、嘘と分かって腹を切らにゃいかん)と、考えたけんど、また一方(ええ、運を天にまかそう。易者になったおかげで、殿様にも逢えるじゃないか)と思うて、お城へ登った。
 お城の大広間には、殿様を始め、家老や家来達がずらりと並んじょる。「易者、よう来てくれたのう。へんしも易を立ててくれ」「宜しゅうございます。が、ちょっと待ってつかさい。易というもんは、朝にならんと、良いしるしがでません。一つ、明日の朝まで待って貰えませんろうか」「そうか、仕方がないのう。明日の朝にしようか」と、言うことになった。やれやれこれで一晩、命がのんだ、と易者は思うた。
その晩の、お城のご馳走たるやめっそうなこと、これで明日に死んでも本望、と腹を据え寝たが、なかなか寝付けん。ウトウト、しかけよった所が、夜も十二時頃。襖《ふすま》がそろりそろりと開いた。「易者・・・易者・・・」と、呼ぶ者がいた。「あっこりゃ、はや夜が明けたかえっ」というと「大きな声を立ててくれるな。お前を見込んで頼みに来た。千鳥の衣は、実はこの儂が盗んだ。ここから十丁ばかり西へ行くと、破れ傘を被った地蔵さんがある。その地蔵さんの足元へ隠してある。どうぞ名前を聞かんと助けてくれ」「そりゃ誠か。まっこと間違いないか」「ああ、間違いない」「よし、儂も人の子じゃ。命は助けちゃろ」と、約束をすると侍は帰った。
 (ヤレヤレ、これで命は助かった)
 易者は安心してぐっすり寝た。
 あくる朝、殿様の前に出て、易を立てた。
「ここから、十丁ばかり西へ行くと、破れ傘を被った地蔵様がある。この地蔵様は中々の功徳のある地蔵様で、日本国内にこの地蔵様に並ぶもんはないと思う。千鳥の衣を盗んで逃げる泥棒を取り押さえ、その衣を自分の腰にすえちょる」易者はこういう易が立ちました、と殿様に申し上げた。殿様は、家来に早馬を飛ばさせ行かせると、易者のいう通り千鳥の衣があった。「さすがは、見目見透しの易者じゃ、二百石を取らせるぞ」
とうとう易者は、二百石扶持《ぶち》の侍となった。
 これで事がすめば、万事目出たしだが、前に世話になった長者の家に娘が一人おる。どうしたことか病気になって、日に日に重うなる。どんな医者にかかっても治らない。「治る病気か。治らん病気か、一遍戻って易を立ててくれ」こう言って、長者の家から迎えがやって来た。易者はこれで「だんつんだ。今度はもう誰も教えて呉やせん。嘘の皮が剥げるか!」こう腹を決めて、長者の家へ夕方ついた。易は朝でないといかん、と断って寝たが、なかなか寝付けん。うとうとしよったら、唐紙がスーッと開いて「易者・・・易者・・・」と呼ぶもんがある。見ると、ざまな坊さんが衣を着て立てりよる。「へえ」「へえじゃない。初めは見て、次は聞いて易を立てた。易者の値打ちはないけんど、実は、わしはお前に助けられた、破れ傘を被った地蔵じゃ。殿様の前で、お前が儂を褒めてくれたきに、立派なお堂が建った。おかげで雨露に濡れよった処も濡れんようになった。そのお礼に、もう二度とはいわんが恩返しに教えてやろう。この家の大黒柱の根元を掘ったら、白ネズミが死んじょる。それを丁寧に葬ってやったら、娘の病気は全快する。これきりぞよ」これだけ言うと、お地蔵様は消えた。
 そこで明くる朝、易を立ててみると、果たして白ネズミが出てきた。それを葬ると、娘の病気は薄皮を剝ぐようにして全快をした。
 さて。長者は考えた。易者のおかげで、娘の命と家督三千両が助かった。ひとつ易者を家の養子にしてやろう。もちろん、易者に異存はない。易者は長者の婿養子になると、易は家柄に合わん、というて『今日限り、見目見透しの易は辞めた』と、宣言して安楽に暮らした、という。
                           文  津 室  儿