2012年2月8日水曜日

漁招き

         漁招き一
  お鼻の(岬)春は早い。日溜まりに身体をあずけると、まどろみに誘われた。
  この町の生業は藩政時代初頭の捕鯨に始まり、鰹・鮪漁へと移り変わった。
捕鯨は壮絶な鯨との戦いのほか、時に荒れ狂う海との闘いであった。生業がいかに過酷であるか、「板子一枚下は地獄」との俗諺が物語る。
 今となっては隔世の感のある当時の有様は、動力も無い、通信手段も無い、ひたすら人力と組織力、は彼らの最善の工夫の結果であろう。だからこそ、命を張るためには、宗教も必要だった。社寺の存在や祭りは、組織にとって生業の盛衰を神仏にゆだねる気持ちだと感じとる。
  旧正月を済ませ、初漁に向かう船に出会う。龍宮神社の沖で右回りに三度廻った。航海の安全と豊漁を祈願する習わしである。
 夫を送り出した妻たちは、お鼻の龍宮神社へお参りに行く。拝殿に立った妻たちは、赤い腰巻きの裾を絡げ、大切な物を少し見せていわく、「龍宮様、龍宮様、家《うち》の人たちに大漁を授けてくれたら、今度は全部見せちゃる」といって龍宮様に掛け合う。龍宮様も好き者か、これに応える。妻たちは、喜びをお礼参りに添え約束を果たす。
  まどろむなか、今に続く俗習が混在した。
                                                         (儿)
              高知新聞「閑人調」掲載

 当地では、室戸岬のことを敬愛を込め、お鼻といいます。今は廃れかけていますが、強いて使いました。
                      

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