ある年、疫病がはやり難儀した。村人は相はかり、田を御田八幡宮に奉納した。すると霊験あらたか、たちどころに治まった。神田の泥が無病息災の妙薬となり、村人を喜ばせた。早乙女が若衆に泥を打ちかける風習はここに始まった、という。は昔の話あり。吉良川町・西の川をさかのぼること三里、朴(ほお)の木と呼ばれた小集落があった。
ある年、疫病がはやり難儀した。村人は相はかり、田を御田八幡宮に奉納した。すると霊験あらたか、たちどころに治まった。神田の泥が無病息災の妙薬となり、村人を喜ばせた。早乙女が若衆に泥を打ちかける風習はここに始まった、という。白い手ぬぐい、赤いたすき、紺絣のいでたちで、田植え歌をうたいながら苗を植えていく。早乙女たちの舞うがごとしのしぐさはあまりにも美しく、われを忘れ見とれる若い笹飛脚が一人いた。
それに気付いた一人の早乙女、八人の早乙女に目配せし、突然、飛脚に泥打ちを仕掛けた。驚いた飛脚、身をかわしたがかわし切れない。全身に泥を浴びてしまった。御上の御用を務める身。泥を打ちかけられ、汚辱されてたとあっては申し開きが立たない。小太刀を抜いて一人残らず殺し、自らも切腹を果たした。
これより泥打ち祭りは途絶えたが、村人は田の中にほこらを建て九人の霊を慰めた。朴の木の末裔たちは、永い時を経た今もなお、お祭りを続けている。
儿
高知新聞「閑人調」掲載
0 件のコメント:
コメントを投稿