第52話 クジラとイノシシ
これも又、それはそれは昔の噺よ。土佐の国では、昔から十一月七日は山の神様のお祭りで、猟師《りょうし》や木樵《きこり》は決して山に入ってはならなかった。
この日は、神様が春に植えた木々を虫食いや立ち枯れがないか、木の状況を一本一本調べて回る忙しく大切な日であった。山に居ると、人でも何でも、間違って木と一緒に数え込んでしまうからだ。
この頃、土佐の山、ことに室戸の山にはクジラが多く棲んでいた。ある年の十一月七日のお祭りの日。山の神様、朝から晩まで忙《せわ》しのう木を調べておられた。「兎山《うさぎやま》の木も今年は立派に育ち、狸山《むじなやま》の木も上々や。はてさて、鯨山はどうだろう」と山の神様、ほくほく顔で鯨山まで来なさった。
すると、どうだろう。木という木が根こそぎ横倒しになっていた。まるで嵐にでも遭ったようだった。
「こりゃ、いったい何としたことだ。クジラ、クジラよ、お前また大暴れしよったな」 神様は、えらい怒って云うたそうな。
すると、クジラが小さな目に涙をいっぱいためて云うには、
「こんなに図体《ずうたい》が大きくては、アクビ一つで木の枝は折れるし、クシャミ二つで木が飛び、体を動かすと山は崩れ、谷を埋め、どないもこないも・・・!。えらいすまないことです」と、あまりクジラが泣くもので、これには山の神様もほとほと困ってしまった。
絵 山本 清衣
山の神様は「そうか、そうか・・・!おお、良い事があるわい。ひとつ海の神様に頼んでみよう」
そう云って、近くの一番高い山に登り、大きな声で海の神様に呼びかけたそうな。
「おおい、海の神様よー。儂《わし》んとこのクジラ、お前様の海で預かってくれまいかのーー」
すると、しばらくして、遥かかなたから、海の神様の声が。「おお、良かろう。なら、ちょうど良い。こちらも一つ頼みがある。儂んとこのイノシシは、泳ぎが下手で餌が取れず、何時もひもじい思いをしている。ただ魚を追い回すばかりで困っている。お前の山で預かってくれまいかーー」
この頃、イノシシは海に居ったそうな。
こうして海と山の両神様が相談をしてのー、クジラとイノシシの棲み場所を取り替えっこしたそうな。
所が、山に上がったイノシシ何を食べたら良いか分からず、山の神様に尋ねた。
神様が云った「イノシシよ、お前様は海の中で何を食べていなすった?」
「俺は海蛇《うみへび》が大好物で、三度三度の食事には逃さず食べていた」と応えた。
山の神様は、「おお、それなら山には海蛇に似たマムシが居る。それを食べなさい」と告げた。
それ以来、イノシシはマムシを見付けると大喜びをして、そのマムシの回りを七廻りぐるぐる回って、食べるようになったそうな。
一方、クジラは大海原に出て大喜び。あちらこちらへ魚を追いかけまわしていた。
ある時、クジラがシャチの群れを追い掛け回しているのを神様が見付けました。
その頃、シャチの口には簾《すだれ》のような髭《ひげ》で出来ていて、小魚を濾《こ》しとって食べていた。
海の神様はクジラの大食いに呆れ、何時もひもじい思いのシャチが可哀想になり、シャチの髭とクジラの牙《きば》を取り替えてしまった。 そして、神様はシャチに「もしもクジラが海で暴れる事があれば、襲いかかって傷めつけてやれ」と命じました。
この時以来、クジラは以前のように暴れる事もなく、小魚を濾《こ》しとって食べるようになってしまいました。
クジラは時折、砂浜に打ち上がり身動きがとれない事があります。あれは、かつて棲んでいた陸が恋しくなって、山に帰ろうとしているのだそうです。
文 津 室 儿
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