土佐落語 店屋酒 60-13 文 依光 裕
時は無声映画時代、活動写真弁士の別けても華やかなりし頃のお話でございます。
弁士にも高知城下の常設館専属の弁士からドサ廻りまで、ピンからキリまでございましたが、村井巡業部・江村美声はキリの方で、美声どころか、ガラガラ声の悪声でございました。
おまけに、家で飼う鶏が”取ったばァキューッ!”と鳴く程の大酒飲みでございまして、朝家を出しなにキューッ!巡業の途中でも酒屋の前を通るたァび馬車を停めてキューッ!活動写真が済んでキューッ!寝る前にキューッ!、日に二升の酒が無かったら身がもたんと申しますから、一升は楽に飲むこの升楽《しょうらく》も足許に寄れません。
一日《ひいとい》のこと、香美郡の山田に掛けておりました小屋を打上げまして、この日は朝から香北の永野へ巡業という段取りでございましたが、座長にとっては生憎のことに大雨《おおつはぶい》でございます。
座員の連中は”今日こそ骨休め”というもんで、宿屋で朝寝を決め込んでおりますに、昼前に雨がカラリと上がってしまいました。
さァ大事、足許から鳥が飛び立つような俄の出発でございます。
「オッ酒じゃ!チクト馬車を停めてくれ」
「美声、今日はいかんぞ。晩方までに永野へ小屋を掛けないかんきに、永野へ着くまで堪えちょれ!」
座長の鶴の一声、哀れ美声”青菜に塩”の道中でございました。
「お、お婆ァ!へ、ヘンシモ!」
そこは美声の行きつけ、永野の高屋《たかや》という店屋《てんや》でございます。
「美声さん、血相を変えてどういた事ぜよ」「どういたこういたの容態は医者に言うてくれ!それより、コ、コレじゃ!」
絵 大野 龍夫
「コレいうたら、焼酎かよ?酒かよ?」
「生きる死ぬるの瀬戸際にヒンジョノカァが言えるか!何でもかまん、ヘンシモじゃ」
あまりの血相に目がかすむ程慌てました婆さん。大急ぎで一升徳利から湯飲み茶碗へドクドク注《つ》ぎ始めましたが、注ぎ終わらんうちに美声の口がハヤ食いつく始末でございます。
「モ、もう一杯!」
二杯目は一息にキューッ!
「おおのコレコレ、このことよ!婆さん、もう一杯おおせ」
三杯目は美声、腰掛けに腰をおろしまして、ゆっくり湯飲み茶碗を傾けました。
「ありゃ?お婆ァ、こりゃ先刻《さっき》の酒かよ?」
「見てみなんせ。美声さんの目の前の徳利から注いだもの、どういて間違うぜよ」
「そうよのう。どりゃ・・・・・(プッと吐き出して)こ、こりゃ矢っ張り酢じゃないか!お婆ァ、この俺に酢を二合もどういて飲まいたなら!」
美声の怒りように、婆さんも入歯をガタガタ鳴らしまして、
「美声さん。なんぼ田舎の店屋酒でも、二合飲まんと酢と酒の違いが判らんかのうし!」
写 津 室 儿
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