第35話 吉良川老媼夜譚 十三
七人みさきやいろいろの俗信 35-34〜38
七人岬と言うことは、今におき(今風に)申します。安堵《あんど》にようつかん者(仏の仲間に入れない者)が集まったもので、海で不意死《ふいし》した者などが集まっていたりするといいます。この東ノ川では、今までに何人も不意死をしますが、七人岬の祟りじゃと言うことになっちょります。
神隠しになるじゃと言うことは、町分ですきに今まであんまり聞きませんが、私の知っちょるのは、娘のころ奥の西山でおみつというお婆さんが、お手水《ちょうず》へいてことりというたと思うたら、それからおらんようになって、地下中が総出で鉦太鼓《かねたいこ》を叩いて、「おみつよう、もどせやあ、返せやあ」いうて、夜は松明《たいまつ》を点けて探し回ったことがございました。私らはこおうてこおうて、(註、怖くて)よそへはよう出ざったほどでございました。
神隠しじゃございませんが、人がふさいで開かんようになった時は、屋根の上へ上がって、箕《み》で煽《あお》いで呼び返すいうことがございます。松三郎いうもんが、開かんようになって、家の者が屋根の上で、「松三郎よう」いうて、一日中呼んで、つまり三日目に返ったことがございました。
お産の火は、アカビ(赤火)いうて一般に嫌い、大山を超すと狼につけられるとか、化け物につけられるとかいうて、今にりぐるふうがございます。山に行く者やら漁に行く者などは、こじゃんと嫌うて出ませんが、火を合わせしますと平気になります。
送り盆(十六日)には船出をせられん、出て病みついたら治らんなどと言うことは、今によく言うことでございます。
鳥《からす》が家の近くで鳴くと、気を悪がるふうがあったり、鶏《にわとり》が宵をうたうと不意なことがあるなどというて、市《いち》(巫女)さんにたんねてもろうたりすることもございます。家をつついたりしたら、神さまや仏さまに粗相《そそう》をするきに、家祈祷《やぎとう》いうて太夫さんを雇うて、正五九月(註、旧暦の正月と五月と九月との称。忌むべき月として結婚などを禁じ、災厄を祓うために神仏に参詣した)の祝い日に祈ってもらうことがございました。信心じゃいうものは、人によって見えん人と見える人がございますが、信心しよると、おかげ(ご利益)のないということはないと思うちょります。 それから、春祈祷いうて、正月に「明日は春祈祷ぜよう」というふうにふれ(註、周知のために広く告げ歩く)てきて、四日ごろ八幡様で町の家々の家祈祷をしてお札を配ってきたりします。そして、この時には、町の境へお注連《しめ》と弊をかけた竹笹を立て、お礼を挟んで置くふうが昔から続いております。
家々の軒下に、悪病除けや悪魔祓いのまじないに、大蒜《にんにく》や八つ手、辛子などをつるしたりもします。海岸の家には骨のある貝(悪鬼貝)を吊るしたりするところもあります。
祟る家 35-35
この吉良川の東ノ川を奥へ奥へとつけて行きますと、日向《ひなた》という山奥の小さい部落に行きあたります。この日向から、小股越《こまたご》えという所を越すと、佐喜浜町へとんとん下りて出る山道がございます。昔から佐喜浜の魚売りが、山越にこの山奥の大平じゃとか東谷じゃとかいう里へ、籠を担うて売りに来ます。町分より魚の値段が安いということがあったりするほどでございます。と言いますのは、佐喜浜まで灘回り(註、室戸岬を回ること)をすると八里も歩かねばなりませんが、小股越えですとわずか三里と言いますから、こういうこともあると思います。
この日向に聖《ひじり》さまというて、回国のお坊さんの霊を祭った小さいお堂がありまして、そのお宮がよく人に祟るというので、村のもんから恐れられております。これは昔、大阪方の片桐《かたぎり》且元《かつもと》(註、戦国時代から江戸初期の武将)という忠義もんが、頭をおろして僧形になり、この所まで落ちのびてきて、佐喜浜へ出る小道を土地の者に聞いたところ、聞かれた者が土地の猟師じゃって、この坊さんがどっさりお金を持っているということを知って、材木谷というへち(間違った)道を教えたと申します。坊さんが材木谷へ入っていくのを見送った猟師は、それからそっと後をつけていて、鉄砲で狙い撃ちにしたといいます。
坊さんはびっくりして岩から滑って足下の川に落ち、濡れびしょになって上がってきましたが、そこをまた狙い撃ちにして、とうとう殺してしまいました。その時、白い鳩が三羽(註、聖の伝言)飛び立ったといいますが、死にぎわにお前の家はこれから金持ちになるか知らんが、尋常には暮らさせんというてこと切れたといいます。
日向には、これに関係した家が二軒ありまして、それから祟りがえろうて、この家には唖の子が二人もできたり、不意死の人が何人も出たりしました。そこでお宮を建てて、聖さまというて、毎晩お光りをあげたりして三代ほどになっておりますが、一番近い不思議な出来事は十年ほど前のことでしつろうか、その家の殺生人が棕櫚《しゅろ》の箕《みの》のを着いて、聖さんのお堂のはたでこぼうじょり(註、小さく縮む)ましたところが、見る者が見ると、どう見ても猿に見える、そこで鉄砲で撃ったところが、昔わざした人の内の男じゃったということがありました。今じゃ、材木谷は聖谷《ひじりだに》ということになっちょります。こわい話でございます。
以上を持ちまして、吉良川老媼夜譚は三十八話をもって終了致しました。長い間のご笑読有り難うございました。御礼を申し上げます。
さて、次回より、徒然に室戸市の習俗・俗信などなどを綴ってみよう、と思っています。お楽しみ頂ければ幸いです。
津 室 儿
暑い日が続いています。「神隠し」「ふさぎの虫」等こわい話も聞かせていただきました。桂井氏の熱意と誠実さが、近森媼の物語を温かく包んでいるようです。全編、懐かしい昔の空気に触れる思いがしました。改めてお礼申し上げます。
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