第41話 姥捨の滝
世に姥捨山《うばすてやま》ばなしは六百余話以上に登り、また世界中に類似ばなしは数多あります。そのような中、ここ土佐の地には姥捨の滝が津呂の宮の滝、檮原《ゆすはら》の姥ヶ滝、大豊町の姥ヶ滝の三カ所が記され、滝に姥を落とす話は稀であります。
津呂の宮の滝は、王子宮本殿の東側の山寄りに、幅5~6㍍、高さ30~40㍍余り。夏なお、枯れることを知らない滝があります。そこに伝わるお話です。
むかしも昔、戦国時代のころ、津呂の小高い丘にお城があり、鬼塚七郎右衛門という殿様が住んで居ったそうな。その殿様は我が侭《まま》で、年寄りが大嫌いでした。
ある日のことです。殿様は、家来に城下に立て札を立てるように命じました。その立て札には次のようなことが書いてありました。「齢《よわい》六十歳を過ぎた年寄りは、滝に捨てるべし。これに従わない者は皆殺し」
この高札をみた者は、家中の者が殺されるのを恐れ、殿様の命令に従わざるをえません。
絵 山本 清衣
宮の滝の東側に、歳老いた母親と孝行息子の真吉《しんきち》が暮らしていました。
「真吉よ、私はもう六十歳を過ぎました。滝に捨ておくれや」
「お母さん、真吉にはそんなむごい事は出来ません」
「真吉や、隣の家のお婆さんも、前の家のお爺さんも、もう滝に捨てられました。悩む事は何もありません、よ」
真吉は、しぶしぶ母親を背中に背負い、滝の頂上に登りました。
真吉はいくら考えても、母親を滝から捨てることができません。
真吉は夜の帳《とばり》を待ちかね、また母親を背中に背負い、こっそりと家に帰り、裏の納屋に隠しました。
数日たった、ある日のことです。殿様は、村人に「灰の縄」を作るように命じました。
「お母さん。お殿様が灰で縄を作れ、と命じました。作ってみましたが出来ません。誰も作れないと年貢が高くなります」と、嘆きました。
「真吉よ、それは簡単ですよ。教えて上げましょう」
真吉は云われた通り、藁縄《わらなわ》で輪を作ると、それを塩水に浸し、乾かして大皿に載せ大皿ごと焼きました。見事な「灰の縄」が出来上がりました。
真吉は喜び、出来上がった「灰の縄」を慎重に殿様の御前にはこびました。
殿様は、お主、なかなかやるではないか。よかろう。それでは、もう少し難しい問題を出そう。これは、一本の棒である。どちらが根の方で、どちらが穂先か、一両日中に答えを出せ、と命じました。
真吉は、棒を家に持ち帰り考えましたが、いくら考えても分からず、途方に暮れるばかりでした。
母親は途方に暮れる真吉を呼び、簡単なことだから教えましょう。
「水を張《は》った桶を持って来なさい」
真吉は桶を用意して水を張り、棒を桶に入れました。
「見てご覧。沈んでいる方が根で、浮いてる方が穂先ですよ」
「再び殿様の前に出た真吉は、母の教え通りに桶に水を張り、棒を入れ実演をして見せた」
殿様は、「お主はなかなかな者だ。それでは一番難しい問題を、と云って三度《みたび》出した」
「それでは最後の難問だ、叩かなくとも音が出る太鼓を作れ、と命じました」
真吉は真っ青な顔をして、太鼓を携えて家に戻り母に助けを求めました。
「母親は、とても簡単ですよ。山に行き蜂を数匹捕まえてきなさい」と云った。
母親は太鼓の皮を少し緩めると、その中に蜂を入れ、元通りに皮を締めました。すると、蜂は逃げようと太鼓の皮にぶつかり、音を立て始めました。
喜んだ真吉は、難題の音のする太鼓を殿様に献上しました。
殿様は、「参った。そなたは、たった一人で三つの難題を解いたのか・・・!」
「お殿様、真実を申し上げます。問題を解いたのは、私めではなく歳老いた母親です。お殿様は、年寄りを滝に捨てるように命じました。でも私は、そのような残酷なことは出来ませんでした。それで母親を納屋に隠しました。年寄りは、体が弱くなっても、若い者より遥かに物知りです」
殿様は暫く考えて云いました。
「その通りだな。儂が間違っていた。許してくれ、もう年寄りを滝に捨てるのはよそう」
お殿様は、若い者は年寄りを大事にするべし、と云うお布令を国中に出しました。
母親の知恵で、これより浦人は平穏無事に暮らせた、と云うことです。
文 津 室 儿
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