第60話 ゴンドウ鯨のゴンちゃん
三津港は、古式捕鯨が網掛け突き捕り漁法に代わった貞享《じょうきょう》元(一六八四)年の昔より沖合に網代を設けるなど、捕獲した鯨を引き揚げたスロープが今に遺る。鯨との関わりは三百三十有余年の長い繋がりを持つ土地柄である。
そんな地域の定置網に平成二(一九九〇)年二月二十二日、ゴンドウ鯨がかかった。久し振りの鯨に、漁師は早くも舌鼓を打っていた。港に帰った漁師は先ず鯨を市場の片隅に揚げ、今日の漁獲の仕分けにいそしんでいた。
すると、そこへ突然、塩土老翁《しほつちのをぢ》(海の神)が今朝の漁模様を覗きに現れた。老翁《をぢ》は鯨を目聡《めざと》く見付けるや、これは孕《はら》み鯨ぞ、といった。その言葉を耳にした漁師は手が止まり青ざめた。先人の漁師の戒め「孕み鯨と子持ち鯨は、夢にも見るな」鯨に対し、慈しみと畏怖の念を忘れるな、と言う格言だった。
絵 山本 清衣
漁師は老翁の教えに直ぐさま応え、鯨を漁港内に放した、が何が気に入ったのか一昼夜二昼夜たっても外洋へ出る気配がない。「プハーッ、プハーッ」と規則正しい呼吸音を発しながら、ゆっくりと時を過ごしている。 この鯨は、ゴンドウ鯨の仲間で小型のハナゴンドウらしい。全長二・五㍍程度で花柄模様の白っぽい文様が特徴だ。五日目の朝のこと、漁師がさぞ腹も空いたことだろう、と大敷き網の朝持ち取れのスルメイカを口先に投げ与えた。するとパクリと頬張った。つづいてイワシを与えると、これも喜んで頬張った。少しずつ元気を取り戻したか、腹が空くと岸壁に寄りそい餌をねだりはじめた。
新聞やテレビで報道されるや、三津漁港は絶え間ない見物客で賑わい、にわかに鯨ウオッチングの場となった。朝から家族連れが車を連ね多い日には二千人、子供らは”ゴンちゃん”と愛称した。見物人は日ごとに増し、観光バスも立ち寄りはじめ二週間で延べ一万人の集客となった。
三月二十八日正午頃、大敷き網の晩持ち揚げの準備をしていた漁師が、ゴンちゃんの異変に気づいた。ゴンはピンク色の何かをくわえている。最初はビニールかと思ったが、よく見ると違う。「ひょっとすると赤ちゃん?」市場の職員たちも次々出て観察。午後二時半頃、赤ちゃんと確認したが残念ながら死産であった。
赤ちゃんは体長七十㌢程、鮮やかなピンク色である。本来ゴンドウ鯨の赤ちゃんの体色は黒っぽく、もっと大きい、と桂浜水族館の職員はいう。
ちょうど一ヶ月間、ゴンちゃんを見守ってきた漁協関係者は「残念だ。可哀想じゃのう」としんみり。ゴンは死んだ赤ちゃんを離そうとせず、チーズのような乳を出して与えようとする。胸鰭《むなびれ》で持ち上げたり、盛んに背中に乗せて息をさせようとしたりする。人間に劣らぬ母性愛、愛情溢れるその姿に人々は涙をいざない見詰めていた。
「ゴンちゃんめっきり衰弱」お産時に感染症か、と高知新聞に大見出しで載ったのが四月七日。食欲も減退し、泳ぎもぎこちない。二月二十二日に、港内にに離され餌をたらふく食べていた時のような、張りつめた体ではない。背鰭《せびれ》周辺から尾鰭《おびれ》にかけて白い筋が目立ち、骨が浮き出ている様子。首の部分のくびれが目立ち、頭部も角張ってきた。
ゴンちゃんを見詰め続けてきた桂浜水族館の飼育係も「普通の痩せ方ではない。お産の時に感染症にかかったようで、命にもかかわる状態」まだ少しでも餌を食べるのが不思議なくらいだ。このまま痩せれば一週間くらいの余命という。飼育員から提供を受けた抗生物質を混ぜ合わせ、急場をしのいでいるが、これから港内の水温が高くなると、水の汚れが進み、ますます条件が悪くなる。三津漁協でも、「ゴンちゃん、そのうち外洋に出て行くと思ったが、これだけ長く居るとは意外。死ぬ前になんとか外洋に出す算段をしなくては」と話しはじめた。
ゴンちゃんの死産や、衰弱が報道されるたびに、室戸市商工観光課や三津漁協にも「ゴンを助けてあげて!」との声が相次いだ。ゴンちゃん三津港去り難し・・・、外洋への、第一弾誘導作戦は失敗に終わった。
内容は前日より空腹にしておいたゴンちゃんを、餌でつって港外に誘い出す。補助としてダイバー四人が後ろから追い立てる、という作戦であった。
しかし、餌に混ぜた抗生物質が効いたのか!、ここ数日のゴンちゃんは一時の衰弱から脱した。食欲も回復して、九日朝はイカ四十匹、イワシ二十匹を平らげた。
ゴンちゃんは、誘導船から投げ与える餌をくわえては港の奥に舞い戻る。まるで出口に向かうのを嫌がるように。ゴンちゃんの居る内港から港口までは、わずか二百㍍であるがゴンちゃんは誘いにはのらなかった。ゴンちゃんは港を安住の場と決めてしまったのか、それとも死産した我が子が眠る地から離れたくないのか!!!。
四月十六日、ゴンちゃん第二弾目の救出作戦が行われた。この日は前回の轍を踏まじ、とばかりに大掛かりなものとなった。五隻の大敷き船に縦五㍍横幅九十㍍の特製捕獲網を作成した。港のスロープへ餌で誘導しながら、網周りを段々に縮めて捕獲した。
ゴンちゃんは、一旦担架に包まれ大敷き船に揚げられた。こうしてゴンドウ鯨のゴンちゃんは、三津沖合い三㎞の外洋に放す作戦に成功した。ゴンちゃんをそっと海に降ろすと、一瞬、状況が分からないのかぽかりと浮かび放心状態であったが、やがて大きく息を
吸った。そして漁師たちの方に体を向け、頭を立て深々と三度お辞儀をして、大きく潜っていった。「ゴンちゃん元気でな。早く仲間に出合えよ」と四十人の関係者が見送った。
二月二十二日、三津漁港に居ついたゴンちゃんは五十四日間、延べ四万人の胸に様々な思いを刻んで去っていった。
ゴンの赤ちゃん、死産であった三月二十八日より数えて四十九日の五月十六日、三津漁協関係者数人と地区長が、最御崎寺・東寺の住職を招き、喧騒からとかれた三津港でしめやかに法要がおこなわれた。大海原で遊ぶこともなく、黄泉の国へ渡ったゴンの赤ちゃんへ畏怖畏敬の念を現したものである。
文 津 室 儿
本号を持って、五年間にわたる「室戸市の民話伝説」の掲載が終了致しました。長い間のご笑読にお礼を申し上げます。誠にありがとうございました。
参考文献
佐喜浜村を語る 小堀 春樹 著
佐喜浜村を語る 小堀 春樹 著
木喰佛海上人 鶴村 松一 著
佐喜浜町史 町史編纂委員会 著
室戸岬町史 安岡 大六 著
室戸町誌 室戸町誌編集委員会編
室戸市史 上巻・下巻 専任編集委員 島村 泰吉
室戸市余話 島村 泰吉 著
吉良川町 歴史めぐり 吉良川史談会 編
土佐路のはなし N H K 高知放送局編
羽根村史 山本 武雄 著
高知・ふるさとの先人 高知新聞社 編
伝説の里を訪ねて 高知新聞社 編
小説 武辺土佐物語 田岡 典夫 著
怪奇・伝奇 田中貢太郎著 春陽 文庫
笑話と奇談 桂井和雄著 高知県福祉事業団
耳たぶと伝承 桂井和雄著 高知県社会福祉協議会
俗信の民俗 桂井和雄著 岩 崎 美 術 社
生と死と雨だれ落ち 桂井和雄著 高知新聞社
土佐の海風 桂井和雄著 高知新聞社
明治生まれの土佐 河野 裕著 金高堂書店
ラジオ拾遺珍聞土佐物語 河野 裕著
珍聞土佐物語 河野 裕 編著 高知市文化振興事業団
日本の民族高知 坂本正夫・高木啓夫著 第一法規
土佐の民話 第一集・第二集 市原麟一郎 編
日本の民話 35 土佐編 未 来 社
高知県方言辞典 高知市文化振興事業団
日本昔話集成 全6巻 關 敬吾 著
日本の民話 全12巻 角 川 書 店
日本の伝説 全49巻 角 川 書 店
定本 柳田國男集 全31巻 筑 摩 書 房 別巻5巻
口語訳 古事記 三浦 佑之著 文芸春秋刊
中西進 著作集古事記を読む一・二・三 四 季 社
佐喜浜町史 町史編纂委員会 著
室戸岬町史 安岡 大六 著
室戸町誌 室戸町誌編集委員会編
室戸市史 上巻・下巻 専任編集委員 島村 泰吉
室戸市余話 島村 泰吉 著
吉良川町 歴史めぐり 吉良川史談会 編
土佐路のはなし N H K 高知放送局編
羽根村史 山本 武雄 著
高知・ふるさとの先人 高知新聞社 編
伝説の里を訪ねて 高知新聞社 編
小説 武辺土佐物語 田岡 典夫 著
怪奇・伝奇 田中貢太郎著 春陽 文庫
笑話と奇談 桂井和雄著 高知県福祉事業団
耳たぶと伝承 桂井和雄著 高知県社会福祉協議会
俗信の民俗 桂井和雄著 岩 崎 美 術 社
生と死と雨だれ落ち 桂井和雄著 高知新聞社
土佐の海風 桂井和雄著 高知新聞社
明治生まれの土佐 河野 裕著 金高堂書店
ラジオ拾遺珍聞土佐物語 河野 裕著
珍聞土佐物語 河野 裕 編著 高知市文化振興事業団
日本の民族高知 坂本正夫・高木啓夫著 第一法規
土佐の民話 第一集・第二集 市原麟一郎 編
日本の民話 35 土佐編 未 来 社
高知県方言辞典 高知市文化振興事業団
日本昔話集成 全6巻 關 敬吾 著
日本の民話 全12巻 角 川 書 店
日本の伝説 全49巻 角 川 書 店
定本 柳田國男集 全31巻 筑 摩 書 房 別巻5巻
口語訳 古事記 三浦 佑之著 文芸春秋刊
中西進 著作集古事記を読む一・二・三 四 季 社
「室戸市の民話伝説」のご執筆お疲れ様でした。ゴンドウ鯨の話はあのころ国中で話題になりましたね。室戸の新しい伝説の嚆矢になるように思われます。「観音山の豆狸」はいつか「日本むかしばなし」だったかで放映されていたように思い出され懐かしくなりました。すぐに桜の季節ですね。津室様のご健勝を祈念申し上げます。お礼かたがた。
返信削除樹美 様
削除慰労のコメント、を有り難うございました。
拙い文章を根気よく読んで頂き、恐縮いたしております。
なお、谷村教育長さんが冊子に、とお考え下さっている由、出来ましたら、お贈り致します。ご住所をご一報ください。お身体ご自愛ください。
津室 様
返信削除ご出版の運び、おめでとうございます。ご恵送いただくこと恐縮しております、あつかましいですが、以前作った詩集もどきを、本日郵送させていただきました。ご笑読いただければ幸いです。皆様のご清福を祈念いたします。