紅葉前線
大幅遅れの紅葉前線の南下と共に物寂しさが重くかさなる。四季の移ろいに左右される心情は日本人の特質であろう。来る秋も、また来る秋も同じ心持ちへといざなう。
心の時代と言われて久しい。ここ片田舎の書店にも、心の癒しを著した有名無名作家の著作本であふれる。
マスメディアの扇動に因るといってしまえばそれまでだが、確かに少子高齢化に伴う地方の疲弊衰退は誰もが感じとっている。格差社会が言われ、世情に乗り遅れた者は負け組の烙印が押される。政治とカネにまつわる為政者の腐敗、拝金主義のまん延は枚挙にいとまがない。心の拠り所を求めて迷うのも致し方ないことである。
ただ、人の心は世に言われるほど病んでいるのだろうかと、ふと疑問を抱いたりする。どっこい、心健やかな人々は数多くいると叫びたい。
この季節、良寛の本が良く売れるという。私も無性に読みたくなる。無私をうたった良寛の俳句に心の広さ、情け深さを感じとるからであろう。
良寛の辞世の句が浮かんだ。「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」。この句は貞心尼の句と伝えられるが、いずれにしても貞心尼を慈しむ豊か人、良寛のエピソードである。
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前回、「寺田寅彦と室戸」に続き高知新聞「閑人調」に掲載
「形見とて 何か残さん 春の(は)花 夏(山)ほととぎす 秋はもみぢ葉」の辞世を残していたのではとの説があります。雪積もる越後の正月に、貞心尼に見守られながら身罷った良寛和尚は、いつの間にあんなに人の心を打つ多くの歌や漢詩を作っていたかと不思議がられるほどに、こども達と遊ぶのが好きだったようですね。
返信削除>人の心は世に言われるほど病んでいるのだろうかと、ふと疑問を抱いたりする。どっこい、心健やかな人々は数多くいると叫びたい
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私が感じるのに、日本人は2通りの人がいると思います。
他人から善意を施されると、恩を感じ、いつかそれに対する感謝の姿勢を示す人、これとは異なり、親切にされたことが自身の人徳と思い込み、その善意を忘れて当たり前の事として忘れてしまうタイプの人です。
最近、後者の方が多くなって来たのは嘆かわしいと思うのは私だけでしょうか。
突然、手に負えない難問について教えを請う人に、指針となる答えを与えたところ、それに満足したのはいいのですが、答えを導き出してくれた人への返礼が無いという事が若い人に多いのは残念に思います。若く無い人が同様である場合は論外ですが。