風
せわしなくも、のどかさを秘めた年の瀬の風習をどこに運び去ったのか。畳を道端に出しお日様にさらす。障子の張り替えと大掃除にかかる。餅をつく杵の音も聞こえない。さりとて、新しい風習も見当たらない。
千の風ならぬ師走の風は、祖父を思い出させ焼き芋の香りが甦る。墓掃除のお供をした。一抱え二抱え三抱え、と落ち葉を集める。落ち葉の中に、子供のこぶし大の薩摩芋を放り込み落ち葉焚き。
掃除も終りに近づくころには、焼き上がった芋の香りがそこかしこに漂う。真っ黒に焦げ上がった熱々を頬張る。その美味さは格別だった。
信心深く、先祖を敬う祖父は、文久三年生まれ九十三歳で身罷った。五十数基の墓に眠る先祖の人となりをよどみなく語ったものだ。その話はまるで昔話や伝説を聞く思いだった。中には地域に密接に関わった人もいて、親しみや温もりを身近に感じさせた。
かつて、春秋のお彼岸、夏のお盆、そして新年を迎える暮れの墓掃除は家族総出の行事であり、故人と語り合う場所であった。今、そこは空ろである。
風が囁く。おおつごもりは近い、早く掃除に来るように、と。祖父からの伝言だった。
(儿)
高知新聞「閑人調」掲載
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