2011年12月22日木曜日

寺田寅彦と室戸

           寺田寅彦と室戸
  「天災は忘れた頃に来る」、と伝説の警句を遺した寺田寅彦。その切っ掛けは関東大震災の遭遇に因る、と日記に記されているとか。
 寅彦が中学生のころ、父利正の申し付けに従い、甥のRと共に室戸へ初めて旅をした。明治二十六年、暮れも押迫った十二月二十一日であった。
 旅の目的は二つ。もし運が良ければ、鯨との壮絶な闘いが見られる! あいにく漁は無く、「浜は寂しいほどしずかであった」と記している。
 いま一つは、ご先祖のお墓参りである。先祖は最御崎寺(東寺)の住職を務めた一海天梁《いっかいてんりょう》和尚である。和尚は寅彦の五代前、吉村左七の弟であり、幼少の頃より学問に秀で東寺に入ったという。
 捕鯨の盛漁期は文化年代と云われる。と同時に海難事故も多発。憂う一海和尚が願主を務め、鯨の供養と海難に遭った漁師を祀る拠り所として、お寺の境内に水掛け地蔵を設けた。地蔵群の中に一海和尚が建立した等身大の地蔵立像がある。この地蔵を恩師S先生が、平成四年春のお彼岸参りで発見した。その台座正面に「法界萬霊」と刻み、浄らかな浄土の国へのみちしるべと願ったであろう・・・。
 寅彦がお参りした一海和尚の墓は、東寺住職たちの墓地に今も祀られている。
                                                         (儿)

3 件のコメント:

  1. 『「茶碗の湯」と寺田寅彦』という文章を早大先進理工学部寺田泰比古教授が、「寺田研究室」のブログに掲載しておられます。教授の自己紹介文、プロフィールを見ると、まさに寺田寅彦を敬愛されているようで文学にも関心をお持ちのことが伺えます。佐喜浜浦庄屋寺田家の直系(当主というべきか)の建比古氏は神戸大学で英米文学の教授をされておられ、メルビルの「白鯨」などの名訳でも高名な方ですが2008年3月に逝去されました(91歳か)。建比古氏の長男が泰比古氏との情報があります。室戸が世界に広がっていくしるしのようで誇らしく思います。

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  2. 植松樹美 様
    今朝は、超驚きの情報を頂き、唯々驚いています。
    佐喜浜庄屋、寺田家が寅彦の直系に当るとは露ぞ知りませんでした。これが事実であれば、植松様が仰る通り「室戸ジオパーク」とあいまって、室戸が世界に広がります。どうか、今後とも情報をお願い致します。
                            儿

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  3. 津室さま
    間違いやすく書いてしまいました。佐喜浜浦庄屋寺田家の直系は建比古氏です。退官後佐喜浜に少し住まれたことがあるように聞いたことがあるのですが、記憶がはっきりしません。ご長男が泰比古氏とは、建比古氏の訃報が流れたときの情報です。「白鯨の名訳で」と書きましたが、訳本が出版された記録がネットで探してもありません。「白鯨を書いたメルヴィルの研究等で」と修正させてください。
    寺田寅彦の先祖は高知市内で足軽だったとの情報があり、
    佐喜浜庄屋の寺田家の先祖と繋がっている可能性があると
    は想像されますが、寺田泰比古早大教授は、先祖としてではなく寺田寅彦の思考に共感されているようにお見受けしました。プライバシーには気をつけているつもりですが、失礼のことがありましたら、お詫びします。

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