2014年11月1日土曜日

 室戸市の民話伝説 第55話 幻の献上珊瑚

  第55話  幻の献上珊瑚

 我が国で、初めて珊瑚《さんご》の文字が記されている書物は和名類従抄《わみょうるいじゅしょう》である。この書物は平安時代中期に作られた辞書であり、承平年間(九三一~九三八)に、勤子内親王《きんしないしんのう》の求めに応じて、源順《みなもとのしたごう》が編纂したものである。
 さて、土佐には古くから左記のように歌われた俚謡《りよう》(里歌)がある。
  お月さん桃色 誰が言うた
   あまが言うた あまの口引き裂け
 又、
  お月灘桃色 誰が言うた
   海女が言うた 海女の口引き裂け
 この里歌の解釈に付いては諸説ありますが、拙子は、以下のように解釈したい。
 初めの句の発句「お月さん桃色」は、水面《みなも》に映る月が桃色に染まっている様子を吟じたもので、桃色珊瑚の豊さを誇張したものである、と思われる。
 二句目の「お月灘桃色」は、幡多郡大月町の月灘海域を指し桃色珊瑚が多く産することを吟じたものでありましょう。「誰が言った」か、との問い掛けに対して、「あまが言うた・海女が言うた」と答えています。前句の「あま」とは、女の子・良家の女児・幼子を指し、後句の海女は海に潜って魚介類や海藻等をとる女性であり、生業者が禁漁品を口にすることは無く、あま・誤植である!、と考えられる。
 なお「あま」とは土佐の方言である。(高知県方言辞典) 
 藩政時代から明治四(一八七一)年まで、珊瑚の採取は禁漁され厳しく取り締まっていた事が、「あまの口引き裂け」と、幼児の里歌まで禁じていた事で、計り知れよう。
 日本の宝石珊瑚は大別して、白色珊瑚・桃色珊瑚・赤色(血赤)珊瑚の三種類があり、日本人が最も珍重したのは桃色珊瑚である。
                         絵  山本 清衣
 土佐に置ける珊瑚の主要産地は、東は室戸半島周辺海域と西は足摺半島周辺海域である。室戸は赤色珊瑚が多く、足摺半島大月町月灘では桃色珊瑚が多く生息した。
 文化九年(一八一二)二月、元浦(現室戸市元)の庄屋奥宮三九郎が藩へ差出した口上覚えには、「勢子舟沖合い羽指の文丞が、下《さ》ヶ釣船でたまたま大ノ珊瑚樹差上候者ニ御座候由」『珊瑚に関する最も古い記録』(津呂捕鯨誌)より抜粋、また、南路志にも記述あり。 余影録には「室戸の人戎屋幸之丞が天保年間(一八三0~四三)に室戸岬付近に於いて釣りするに方り、偶々珊瑚の其の釣りにかゝるをみて、百方考案を加え、遂に創めて、珊瑚網を発見せしを、当時、藩政珊瑚の探採を禁じ之を使用することを得ず。後藩、其の禁を解くに及び、盛んに之が採取に従事し、従って一般に普及し、現今闔県《こうけん》(県下全て)使用する。云々(土佐資料)」と述べ、珊瑚網を創製した功績を称えている。参考資料・室戸町史・室戸市史下巻他
 以上、参考資料からして、初めて生業として珊瑚漁を始めたのは、室戸浦の住人、戎屋幸之丞である、と資料が語っている。
 はてさて、幻の献上珊瑚噺が生まれたのは、大正三(一九一四)年四月半ばの頃であつた、という。
 とある日、南新町後免の漁師・泉為太郎氏が、室戸岬沖海域の珊瑚の埋もれ礁《しょう》(珊瑚の生息域)、二十数カ所の内、白草《しらくさ》に山立てをして、珊瑚漁に掛かった。舟を潮流任せに打たせ四~五十分も経った頃、舟がぴたりと止まってしまった。為太郎は、初っぱなから海底《そこ》を掻くとは、何と情けなやと思いながらも、これも吉報の兆しと思い直して艫艪《ともろ》を取りだした。艪は、幅七寸(21cm)総長さ二十一~二尺(約七㍍)と、一般の艪よりは一回り大きく屈強な身体が求められたが、為太郎は小腕返しの艪捌きも鮮やかにこの艪を操った。
 四月と言えど、室戸路は限りなく夏に近く暑い。為太郎の顔から玉の汗が流れ出はじめた。時はどれほど経ったであろうか、そよそよりと四月の風が吹き始めた。その風に背を押されたのか、舟足が急に軽く早くなった。 為太郎は、底から網が離れたのを機に網を上げる。珊瑚礁は七~八十尋(約105~120㍍)の深さだ。珊瑚網を手繰り上げるには三~四十分掛かるであろうか、艪を押し網を浮かせて手繰り寄せ、そして又、艪を押して網を浮かせ手繰り寄せる。これを幾度となく繰り返すのである。屈強な漁師と言えど、大変な労働である。右舷に、柿渋で染めた麻の珊瑚網が、真っ赤に変わって大木の珊瑚樹を絡ませて上がってきた、という。
 それは、直径七~八寸(約22~3cm)、重さ四貫六百匁(17,194kg)の血赤珊瑚であった。
 これが大評判に成るのには、さほどの時間を要しなかった。来る日も来る日も毎日見物人が押し寄せた。為太郎は、珊瑚樹が余りにも大きすぎたので、家の中では置くところが無く、床の下の芋坪《いもつぼ》にゴザを敷いて中に入れ、見物人が来る度に芋坪から出して見せていた。
 所がある一夜、室戸町全域が豪雨に見舞われ、津照寺の本堂右脇が崩壊し、尚且つ本堂も崩壊の危機にあり、南新町、室津、郷の住民に全員集合との布告《ふれ》が出た。集まった住民は、御本尊舵取地蔵に雨の止むのをただただ祈った。その功徳か夜が白み掛ける頃には、豪雨も治まり本堂は無事であった。
 間もなく解散のふれも出、それぞれ家路に急いだ。その中には為太郎ももちろん居た。
 帰り着いた為太郎、何か嫌な予感がした。その予感は的中した。いつも珊瑚を置いてある芋坪を覗いてみる。珊瑚樹は一欠片の姿も無く、そこは蛻《もぬけ》の殻《から》だった。よくよく覗くと隣境の犬走りが掘り返され、大きな穴が芋坪に通じていた。
 為太郎が密かに描いた夢、この珊瑚で小皿を作り天皇陛下に献上することは、儚くつゆと消えてしまった。
 桃色・血赤珊瑚は、昔も今も人の心を引きつけて離さない魅惑の珊瑚樹である。

                            文  津 室  儿
                                      



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