2016年8月7日日曜日

続室戸市の民話伝説第一話     用心か信心

 はじめに
  室戸市広報に室戸市の民話伝説を掲載して五年、六十話を一区切りとして、一昨年三月年度末をもって終えました。本年度末には、冊子として、生涯学習課よりよみがえります。再度ご笑読頂ければ幸いに存じます。

 さて、積み残しといいますか、記憶の彼方に居たものが思い出され、本の片隅でひっそりと休んでいたものが目覚めはじめました。これらを再び書き起こす事を思い立ち、何話になるか今は分かりません。が今一度ご笑読頂ければ幸いに存じます。 



    用心か信心か

 室戸市史下巻より、こんな話を拾うた。この話はこんな書き出しで始まっちょた。
 
 昨今、自動車の運転台に神仏のお守りをぶら下げちょる人が居る。事故の原因が不可抗力の時もあるし、運、不運もあるきに、神様、仏様に頼む気持ちも分からんではないが、規則を守っての安全運転が一番大事なことよ。 日和佐の薬王寺へ厄除けのお詣りに行き、戻りに事故を起こした人もあるきにのうー。
 
 それにつけても、こんな昔話があらー。まあ聞いてや。昔、と言うても明治三十年(一八九七)頃の話じゃ言うきに、今から百十九年ばぁ前の話じゃ。
 
 羽根崎の岩陰に、一人の遍路の行き倒れがあった。足の傷を、オーチャクしたがために破傷風にかかり、発見された時には危篤状態じゃったそうな。
 
 以下は、遍路が死ぬまでの苦しい息の下で役場の職員に語った世にも不思議な身の上話よ。
 「私は香美郡夜須村手結の生まれ、親代々の小職釣り(明治期は小釣りのことを小職釣りといった)漁師で、私もこの歳になるまで小職釣り漁一筋に生きて来ました。

                    絵  山本 清衣   

この春の事です。いつものように小舟を操り、手結沖で鯵釣りをしていましたら、突然、大鮫が現れた。俗に人食い鮫というて、漁師が一番怖がる奴よ。堅い背びれで船底を持ち上げたい、船(ふな)縁(べり)をガシガシ噛んだりして襲いかかってくる。私は生きた心地もなく、一生懸命にお大師様を念じ、持っていた護身用の大包丁を衣類で包み、鮫を目がけて投げつけた。
 
 鮫はそれを一呑みにするや、いずれとも無く姿を消した。九死に一生を得た思いの私は深く御仏の慈悲に感激して、四国八十八ヶ寺の巡拝を思い立ち、遍路姿になって野市の大日寺から打ち始め、土佐、伊予、讃岐、阿波の寺々を巡拝し、二十三番薬王寺から再び土佐に入り、飛び石、跳ね石、ゴロゴロ石の難所も無事に渡り、やっと室戸岬までたどり着いた。
 
 明日は東寺、津寺、西寺を打つ積もりで、少し早めに海岸で野宿をしたが、ここで私の運命ががらりと変わった。疲れた身体を岩の上に横たえて、見るとも無く前方を見ると、大きな魚の骨が岩の間に打ち上げられている。よく見ると肋骨あたりに錆び果てた大包丁が食い込んでいる。私は愕然としました。まさしく私が投げつけた包丁を呑んで死んだ鮫の骨ではないか。私はその時のことを思い出しました。むらむらと怒りがこみ上げてきた。思慮分別を忘れて、ざまぁみろとばかりに、その骨を足蹴にしました。
 
 今から思えばこれが私の運の尽きでした。そのとき足の指先に、小さな鮫の骨が刺さったのに気付かず、東寺、津寺と打って西寺へ着いた時分から足の指先がズキズキ痛み出し、吉良川の辺りから四つん這いになって、やっとここまで来たが、このざまです。御大師様はご利益も下さるが罰もあてる。古里の手結を目の前にしながら、ここで死ぬのは残念でたまりません、お前様らもお気を付けて下さいませ」と話を結んだ。
 
 以上が、夜須村手結生まれの遍路の物語じゃが、用心が大事か信心が大事か、よう考えなぁいかんことよ。
                                      お前様ら、どう思いますぞえ。

                                                文   津 室  儿

3 件のコメント:

  1. よかった。本楽しみにしています。

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  2. 何度やっても上手くゆかないぞ!

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  3. 上手くゆかないぞ!は試投稿です。昨日から成功しませんでした。今日練習でうまく行ったようです。

     難しい問題ですね!
    信仰は、情の世界を否定します。仏門に帰依すれば心しずまり、立腹もありません。
     並の人間の信心は程ほどと心得て、何事もほどほどと心得るべし。これが信心の要諦かな。I.K

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