2012年6月3日日曜日

室戸の民話伝説 第23話 室戸岬の竜宮神社


    

室戸岬の竜宮神社
  
 室戸岬《お は な》の南の突端を東へ約五十㍍、国道五十五号線南側に、高さ十四、五㍍の巨巌が聳える。この巨巌を地元民は「おはなの龍宮巌」と親しみを込めて呼んでいる。龍宮巌の中腹には、海をのぞむ龍宮神社(龍宮とは、海神に纏る伝説「古事記や日本書紀」に登場する海神の宮のこと「海幸彦。海幸彦は浦島太郎のモデルと云われる」で、竜宮城などと呼ばれる。乙姫様が住む宮とも云われ、四方四季という一度に四季が同時に楽しめる庭がある。と云われる)が鎮座して漁師の信仰を集めて、特異な漁招きの奇習も宿している。
 お鼻の(岬)春は早い。日溜まりに身体をあずけると、まどろみに誘われる。
この町の生業は藩政時代初頭の捕鯨に始まり、鰹・鮪漁へと移り変わった。
捕鯨は壮絶な鯨との戦いのほか、時に荒れ狂う海との闘いであった。生業がいかに過酷であるか、「板子一枚下は地獄」との俗諺《ぞくげん》が物語る。
 動力も無い、通信手段も無い、ひたすら人力と組織力に頼った。今となっては隔世の感のある当時の有様は、彼らの最善の工夫の結果であろう。だからこそ、命を張るためには、宗教も必要だった。社寺の存在や祭りは、組織にとって生業の盛衰を神仏にゆだねる気持ちだと感じとる。
  旧正月を済ませ、初漁に向かう船に出会う。船は、龍宮神社の沖で右回りに三度廻った。航海の安全と豊漁を祈願する習わしである。
 夫を送り出した妻たちは、お鼻の龍宮神社へお参りに行く。先ず、本殿の裏側に廻る、厚さ一寸、一尺四方の板を張ってある。その板を拳大の石でコンコンと打ち鳴らし、神様に起きて頂き、お参りに来たことをお知らせする。そして、拝殿前に立ち、二礼二拍一礼の神道に則ったお参りをする。お参りの後は、それぞれが持ち寄った御神酒と手料理を拝殿前に並べ、車座に座って宴がはじまる。
『御神酒上がらぬ神はない』「神様でさえ酒を召し上がるから、人間が酒を飲むのは当然である」と云って酔興が興に乗るほどに、妻たちは再び拝殿に立ち、赤い腰巻きの裾を絡げ、大切な物を少し見せて龍宮様に掛け合う。「龍宮様、龍宮様、家《うち》の人たちに大漁を授けてくれたら、今度は全部見せちゃる」といって龍宮様に掛け合う。龍宮様も好き者か、これに応える。妻たちは、喜びをお礼参りに添え約束を果たす。
 この奇習は、初期の古式捕鯨(寛永元(一六二四)年)の頃には始まって居たらしく、仕留めた鯨に轆轤《ろくろ》を掛け、腑分場《ふわけば》に引き上げる。この轆轤に鯨の魂が宿る、との信仰心から龍宮様と同じ仕種をして豊漁を祈願したと云われる、が今は轆轤も無く途絶え、龍宮様に大漁祈願をする奇習のみ、今なお続いている。
  
                            文 津 室  儿                                                    
                          絵 山 本 清衣
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2 件のコメント:

  1. 室戸岬の竜宮神社のお話、ここ熊野と大変似通っていますね。
    太地の恵比寿神社にも巨巌があり、新宮市の神倉神社の「ごとびき岩」、三重県熊野市花窟神社の「花の窟(いわや)」も類似のものがあります。
    私の私見ですが、室戸の場合も、その歴史は縄文、弥生時代にまで遡るのではと想像しています。
    先に土佐捕鯨の拙稿にコメントを下さった「琉球爺」様、沖縄の方だと思いますが、竜宮城の所在地は、私の勝手な想像ですが、琉球だったのではないかと思っています。従って、浦島太郎は琉球に行ってきたのではないかと思うのです。

    このような夢を膨らませることができる室戸の「竜宮城」は室戸市の宝ですね。

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  2. この話、私は大変興味を持っています。県下のお参りや、お祭りの様式は知りませんが、この年の豊作を願った春のお祭りや、豊作への感謝の秋祭りは、神様がお慶びになることをするものです。ご存じの「さいばら」に「唄えや唄え。踊れやおどれ。遊べや遊べ。」とあったように記憶しています。
    (神楽)は神遊びとも読んで神様の遊びでした。遊びの究極は「性」遊びで男と女が寝ることを意味します。神様は寝ることがお好きでした。神社の大広間は、もともと男女の雑魚寝する所で、夜は乱交が繰り広げられたとも伝えられています。神様はそれをお悦びになったようで、これを話し出すと長くなりますから止めますが、要するに神様は色好みだったようです。
     そのことを実に大切に残しているのが、漁師まち室戸のような気がします。しっとろとの歌詞もその通りでしょう。そして、ちょっぴり裾をめくって白い肌を見せる。色好みの神様はもう堪らない。全部見るために神様は頑張るでしょう。色好みの神様を手玉に取る室戸女のしたたかさが見えて微笑ましい。
    余談ですが、山の神は(女)です。しかも老婆で嫉妬深いそれに「太い棒」を好みます。まつりものは、がしらの干物のようなもの、神より醜いものでないと祟ります。私の家の裏の山頂に山の神があります。思い出せば子どもの頃、美しい漁師の奥様がよくお参りに来ました。
    「裾をめくって、美しい肌」を見せられた山の神はきっと嫉妬に狂ったことでしょう。

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