御祓《おんぱら》い船
夏の土用波が騒ぎ始めると、室戸の夏祭りも住吉神社(旧暦六月二十八、九日)でフィナーレを飾る。慶長七(一六〇二)年、藩主山内一豊公が難破しかかり、室津港に避難した。藩主はこれを期に航海の安全を願い、室津港の南東部の位置に神社を設け、大阪・住吉神社本宮(海の守護神)より分詞を賜ったと由来書は伝える。
この神社は海の安全と共に、参拝者は人型札に患部の印しを付けて神主に託し治癒をねがう。宵闇迫る引き潮時、御祓い船が漕ぎだす。船には五十数個の提灯が飾られ、水面に映える灯が眩い。芸者衆が乗り、三味線、太鼓の囃子で鯨唄や板木下ろし、伊勢音頭が響く。外港では船首を住吉神社本宮に向け、加護にすがる。
先ごろ全国の漁業者約二十万隻が一斉休業をした。燃油高騰という人為的要因による休業は前代未聞であろう。今年は燃油の下落を祈願するお札が多いだろうと当家は語る。神様も大変である。
祭礼を済ませた当家は直会を楽しむ。終宴近く、猥談や艶話をそれぞれが披露し、災いを笑い祓う風習があった。今は小粋な古老も居なく、習わしは途絶え聞けない。
(儿)
- 高知新聞「閑人調」掲載
室戸では藩主が住吉神社を勧請したのですか。格式ある神社なのですね。
返信削除熊野太地浦では寛政10年(1798年)に私宅の5代目角右衛門頼徳が讃岐より金刀比羅神社を勧請して、戦後の頃までは熊野近辺の漁師が大勢詣り、更には八丈島の漁師までが詣った石碑が残っています。しかし、約50年前に祭典が休止されていたのを近年、再興されました。
この神社も海上安全祈願が目的でしょうね。
直来の儀で古老が猥談や艶話をすることを書いておりますが、太地鯨唄の歌詞では、初めは厳粛に「祝い愛でたの若松様よ・・・」で始まり、「掛けたや角右衛門様組よ、親も取り添え子も添えて」と捕鯨のこと、ここで止めてくれれば後世の人間は「当時の立派な人達が文化遺産を残してくれた」と思うのに、「これからやっさな、一で河崎、丹波河崎通い、下女思うて」と遊郭の女性のことを思っての歌詞が加わっています。がっかりです。(笑)
でも、当時の男の素朴な喜びがよくわかりますね。