絵 山本 清衣
第一話 立つちゅうモン(ノ)
こんな話があった。ころは明治の中葉、そりゃー暑い暑い真夏の昼下がりのことじゃと云った。
馬吉が一人、とある家の軒先を借りて、涼をとりよった。
そこへ、涼し気な顔をしたお鯨《けい》が通りかかった。お鯨は、馬吉の一人息子、馬之助の幼馴染であった。
お鯨の体型は、名は体を表すの謂われ通り大女である。手には七(23.1)〜八寸(26.4cm) のざまんな(大きい)鮑《あわび》を藁《わら》すべで括り、提げちゅう。
その大きさにたまげ(驚き)た馬吉は、そりゃ、どこの鮑ぞときいた。
お鯨は「うん、あて(私)のがぁじゃ、暑いきに、外して行きよらよ」と、事も無げにいうた。
寡夫《やもめ》の馬吉と馬之助、この親子、名にたがわず優れたマラの持ち主。これを耳にしたお鯨は、二つ返事で嫁に来た。
馬之助は兵庫や大阪へ、鯨肉を運ぶ五十集船《いさばせん》乗り、一度出港すれば、七、八日間は家を開ける。若いお鯨はこの間、身がうずき悶える。
毎夕晩酌を楽しむ舅・馬吉は、三合徳利を空にするや、それを枕にゴロリと横になるも、はや寝入ってしもうた。寝入らんがあが、舅のマラよ。越中褌を突き破らんばぁな勢い。それを見た、お鯨は辛抱しきれん。いきなり舅に股がり、スッポリ我がミホトに収め、まぐわってしもうた。
目を覚まし、ビックリ仰天した舅。「よ、嫁よ・・・! こりゃどうしたことぞ?、犬、畜生じゃあるまいに、親の物を使うちゃいくまいが」
お鯨は、「けんど、お舅さん。立つちゅうモンは親でも使え、と言いますきに」と、云うたという。
旧暦六月二十八日、九日は、海の守護神住吉神社のお祭り。二日間の祭礼を、恙なく済ませた当家は直会に入る。
宴も終わり近く、魚介類や漁労にまつわる艶話や猥談を、それぞれが披露し、災いを笑い祓う風習があった。
この話は、そんな中の一つである。今は、小粋な古老も居なく、風習や習俗は途絶えつつあり聞けない、寂しさがつのる。
おおの、ばかばかしぃ〜〜〜
おおの、ばかばかしぃ〜〜〜
文 津 室 儿
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