2011年7月5日火曜日

室戸の民話・伝説  第一話      佐喜浜の鍛冶屋嬶

この「室戸の民話・伝説」は、室戸市教育委員会生涯学習課の厚意により、平成22(2010)年4月号より、・広報むろと・に連載され、継続されています。これより、順次掲載致します。お楽しみ頂ければ幸いに存じます。                                                               
佐喜浜の鍛冶屋嬶
昔々、それは長宗我部元親の頃と言うから、かれこれ四百年も前の話である。元親が四国平定の足掛かりに、阿波の牛岐《うしき》城(別名浮亀《うき》城)を攻めておった。ところが元親の家来の一人、その妻女が、戦場にいる夫の身を気づかい会いに旅立った。それがなんと身重でありながら奈半利から野根山越え、名にし負う難所、野根山街道を越していたそうな。装束峠を少し越した所で、急に産気づき苦しみだした。 そこへちょうど、一人の笹飛脚(超特急便)が元親の本陣を目指し急ぎ足で通りかかった。飛脚は公用人で勝手なことは許されないが、とても優しい飛脚は、女性を一人こんな深山に放っておけば、狼が出てきて大変なことになる。そのうえ、陽は遥かな山並みに傾き夕闇は間近い。飛脚は印籠の薬を飲ませ優しくいたわった。少しでも人里近くまでと道を急いだが闇夜はすぐそこに迫っていた。峠からわずかばかり下ったころ、飛脚は、遥か山裾の佐喜浜川のせせらぎの音をさえぎる、無気味な獣の唸り声を聞いた。「狼だ。しかも二匹や三匹ではない」俗に「狼の千匹連れ」という群れである。なんとかしないと、と困り果てた飛脚の目に、黒々とした杉林の中にひと際そびえる巨木が映った。上の方にはちょうど女一人が横になれそうな枝が張っていた。 飛脚は、労力を重ねがさね、身重の女を木の股に引きあげた。その時は狼らの吠え声が間近に迫っていた。飛脚自身も巨木に足場を調え終ったころには、鬼火のような狼の瞳が木の下にあちこちと、見え隠れしていた。 やがて狼は火を吐きながら、木を駆け登ってきた。飛脚は間合いを見計り、一太刀ひとたち、確実に狼を仕留めていった。半時の死闘で狼の死屍は山とかさなった。狼は飛脚の手練の技に恐れおののき、引き潮のように姿を消した。その時、飛脚は、『これは敵わん。佐喜浜の鍛冶屋嬶を呼んでこよう』と人の言葉を話す狼が居たことを記憶に留めた。 しばらく経つと、再び山が騒ぎ、前にもまして多くの狼が群がり押し寄せてきた。その先頭に、体毛は総白色にして所々燻し銀。身体は驚くほど大きな老狼が、何か得体の知れない釜のようなものを鎧兜《よろいかぶと》のように被り、悠然と木の下に進み来たかと思うと、恐ろしい吠え声を発し一気に杉の木肌を駆け登ってきた。飛脚は、太刀を神に念じて一刀のもとに打ち込んだ。確かな手応えが有った。狼は悲鳴を上げて転がり落ちていった。と、一瞬にしてそこに静寂が戻った。その静寂に、一筋の明かりと温もりが灯った。力強い産声が夜半の岩佐の原生林に響いたのは、まもなくであった。 飛脚は妻女と赤子を里に届けた数日後、無事に公務を終え、岩佐から佐喜浜川を下り鍛冶屋嬶捜しに向かった。何としても、あの不思議な狼らの「佐喜浜の鍛冶屋嬶を呼んでこよう」と言った叫び声と、異様な狼の姿を忘れることが出来なかった、からだ。 佐喜浜に着いた飛脚は、小さな谷川の畔に人里をはばかるように、ヨシ竹やウバメガシに囲まれた一軒の鍛冶屋を捜し当てた。鍛冶屋の親父に「お嬶殿に会いたい」と請うと、「嬶は、数日前の夜半に、便所へ行った時、足を踏み外し頭を怪我して寝ている」と言った。鍛冶屋の親父の答えに、さすがの飛脚の胸も妖しく高鳴った。 訝る親父を説き伏せ、お嬶の寝間に通された飛脚は、青白い顔をして頭に白い晒しを巻き、静かに眠っている美しいお嬶をじっと見つめていた。お嬶には別段異様なところも見出せず、飛脚は苦渋に満ちた。が、やがて何かを決断した。懐から懐紙を取り出し細かく引き裂くと、手早く紙縒《こよ》りを作り、念じるような眼差しで紙縒りをお嬶の耳の穴に差し入れた。すると、奇怪なことにお嬶の耳は犬か猫の耳のように、ピクピク、ピリリと動いた。それを見るや、飛脚は抜く手も見せず、ただ一刀のもと、お嬶の心臓の真上に刃を突き刺した。お嬶は噴き散る鮮血の海に、躍り上るように四肢を震わせて息絶えた。嬶の斬殺を目の当たりにした親父は逆上し、飛脚に飛び掛かったが・・・・・、瞬く間に美しかった嬶の姿は見るも恐ろしい狼の姿に変貌した。嬶の寝床の床下には獣や人骨が累々と散乱していた。飛脚の勇敢な狼への挑戦は、名にし負う難所、野根山街道を明治中葉の頃まで、安全な官道街道として賑わい続けたという。  
祟りを恐れた里人は、今の佐喜浜支所前の一隅に小さな供養塚をつくり、後々祟りがないようにお祀りをした。鍛冶屋の子孫は逆毛が生えていると言われたが、そのような事はない。嬶には子も孫も無かったはずであるから。 後日談に、この伝説の狼とは女山賊であったという。実《げ》に恐ろしきは人間なりけり、とか。

文  津 室  儿                                 絵  山 本 清  衣                             
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