2012年3月8日木曜日

鯨舟唄

          鯨舟唄
  学年末も押し迫った日、室戸小学校五年生の皆さんから一日先生を請われた。
代表のM君から「私たちは六年生になると、室戸の伝統芸能・鯨舟唄を保存会の皆さんに習います。この唄がどこで生まれどのような時にうたわれるか、昔の捕鯨や鯨の事を少しでも多く知りたくて、お願いをしました」、と挨拶をうけた。
  鯨の古称や種類から話しを始める。体長や重さ、狩りをして餌をとる様子。捕鯨を始めた理由、唄は突き捕鯨から網捕鯨に移る天和三年(一六八三)、網捕鯨の指導に来た太地の漁師(七十人)たちが伝え、豊漁祈願や鯨の鎮魂のためにうたったこと。          
 三津漁港のゴンドウクジラのゴンちゃんは死産の赤ちゃんへ細やかな母性愛をしめした。四十九日の法要を行い畏怖畏敬の念を表した地元漁師。大海原に帰したゴンちゃん、深々と三度お辞儀をして去って行ったこと。 
 非日常的な話が新鮮だったか、良く耳をそばだててくれた。「ゴンちゃんやほかの動物にも心があって、人間と通じ合えることを知って感動した。今日の話を唄に込めてうたいます」と綴った感想文。慈しむ心の芽生えがとどいた。
                                                        (儿)
                高知新聞「閑人調」掲載



  

2 件のコメント:

  1. 太地の漁師が室戸津呂浦の郷士、多田吉左衛門と共に室戸にやって来る前、吉左衛門は太地で土佐の捕鯨上の技術を太地に伝えています。土佐の技術導入で、太地では天和三年(一六八三)の暮れより翌年春のわずか数ヶ月間で九十六頭の鯨を捕獲しています。これは土佐と太地との捕鯨の技術交流があって、鯨網での捕鯨が更に発展した結果です。、

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    1. コメント有り難うございました。
      おおせの通りです。土佐は「手形切り」を教え、太地は「網掛法」を土佐に伝授の技術交流がありました。この交流により「網掛突取漁法」は飛躍的に発展しました。

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