憲法第九条がなかった昔は、徴兵検査というオトロシイもんがございました。
「キオツケ!姓名ッ」
「ハッ、大岡幾次郎でありますッ」
「オオ・カイクジロウつか?ザットした名前ネヤ。次!」
「オオノエイゾ?貴様ッ、それでも、キオツケ!天皇陛下の軍人が務まるかッ」
大野英造、安芸は西分の若衆でございますが、これが困ったことにトットの芝居気違で百姓仕事に身が入りません。
そこで親父”女房でも縛《くく》りつけたらチッタ変るろう”と考えまして、川北からお菊という娘を嫁に迎えました。
時に英造二十一歳、お菊は十八歳。羨ましいような若夫婦でございましたが、この若夫婦の仲を生木を引き裂くようにムシリ離しましたのが、血も涙もない一銭五厘。あの忌まわしい赤紙、召集令状でございました。
あゝ大君に召されたる
命栄えある朝ボラケ・・・・・
外向けには恰好のエイことを申しますが、内側《うちら》では愁嘆場でございます。
「アンタ、他の人は皆んなァ死んでも、アンタだけは生きて戻ってよ!」
「親父とお母ァを頼んだぞ!この俺に若しもの事があったら遠慮はいらん。どこぞエイ所へ嫁にいて、幸せになってくれェ」
屠所に曳かれる羊みたいに、英造がションボリ入隊しましたのが佐世保は鎮守府の帝国海軍でございます。
海の男の艦隊勤務 月月火水木金金
軍歌にもありますように、絞りに絞り、鍛えに鍛えられまして六ヶ月。遂に出動命令が下りましたので、わが海軍二等水兵大野英造恋しい女房に大急ぎで電報を打ちました。
『鎮守府を発《たつ》つきに、佐世保へ面会に来い』
これでは電報代が高うなりますので、新兵の英造、コジャンと略しまして、『チンタツ、サセコイ』
ところが、電報を打つと出動延期の待機命令。英造が慌てて打った訂正電報がこうでございます。
『チンタタン、サセクナ』
さぁ、一ぺんに二通の、しかも内容《なかみ》が月とスッポンばァ違う電報を受け取って、女房のお菊は面食うてしまいました。
「お舅《とう》さん、一通にゃ”チンタツ、サセコイ”もう一通にゃ”チンタタン、サセクナ”とありますけんど、どうしたもんですろう?」
「どりゃどりゃ?”チンタツ、サセコイ”と”チンタタン、サセクナ”か・・・・・。ヨシ!かまんきにオマエは佐世保へ行て来い。英造には儂から電報を打ちょくきに」
さて、親父から英造宛てに打った電報がございます、が
『チン、タツモタタヌモ、サセニイク』で、ございました。
写 津 室 儿
写 津 室 儿
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