2013年1月1日火曜日

室戸の民話伝説 第33話 室戸岬・空海の七不思議


      室戸岬・空海の七不思議

 全国に広がる、弘法大師空海の伝説は「高野聖《ひじり》」に因ると云われます。聖の献身的な努力が、現在の高野山の繁栄をもたらした、と云われています。聖とは「日知り」から転じた言葉で、「日、太陽のように輝く、識者・物知りな人」という意味があります。
 全国を巡錫した空海の足跡に、伝説が付き纏い生まれました。此れほどまでに、伝説・伝承の多い人物は稀であります。全国津々浦々に伝わる空海伝説は、その数おおよそ300編を越える、といわれます。その伝説は真実ばかりでは無く、実際に起きた出来事のように脚色されたものばかりです。
 それでは、室戸岬・空海の七不思議を記してみましょう。

七ノ一 一夜建立の岩屋
 一夜建立《こんりゅう》の岩屋は別名観音窟と云われ、名の如く、空海が一夜にして岩盤を削り、岩屋「間口幅1.2㍍・高さ2.3㍍・奥行き9㍍」を建立した、と伝わります。「一夜にしては現在の技術を持っても不可能では!」ここに、唐より持ち帰った如意輪観音半跏像《にょいりんかんのんはんかぞう》(国の重要文化財)が祀られていました。この観音菩薩は現在、最御崎寺(東寺)の宝物館に収蔵され、今、岩屋には七観音が代替して祀られています。如意輪観音の鑑賞は、どなた様でも可能です。ご希望の方は、お寺に申し出下さい。 余談ですが、昨今、この岩屋を東寺の「奥の院」と紹介されていますが、拙子は異を唱えます。

七ノ二 不喰芋《くわずいも》 
 むかしも昔、弘法大師がまだ青年で、一、沙門《しゃもん》(僧侶)に虚空蔵《こくうぞう》求聞持法《ぐもんじほう》(記憶力を増大させる行法《ぎょうぼう》)を授かりました。この法を修行し修めるために、阿波の大龍岳や土佐の室戸崎に行場を移し、修行者として錫杖を置いた日のことです。
 今の、水掛地蔵菩薩群の所に、小さな小川《せせらぎ》があります。そこで、一人の老婆が里芋を洗っていました。旅の疲れと空腹に耐えかねた青年僧(空海)が、老婆に里芋を一つ所望しました。すると、老婆は里芋を惜しんだのか、咄嗟《とっさ》に「この里芋は、食べられない」と云ってしまいました。
 この日より、里芋は煮ても焼いても食べられず、里芋の名は不喰芋(他の地域では、石芋と云われる)と名付けられた、といいます。しかし、慈悲深い青年僧はこの不喰芋に薬効を授け、傷の妙薬といわれます。

                       絵 山本 清衣

七ノ三 捻れ岩
 先の、不喰芋の話から間もない頃でした。若い真魚《まお》(空海の幼名)が、この地、室戸崎山頂で勤行のさなかのことでした。我が息子の身を案じた母(玉依御前)は、讃岐国(現香川県)多度郡屏風ヶ浦、今の善通寺より遥々訪ね、行場に向かいますと、一転して、火炎渦巻き天地が鳴動しました。真魚は、何事かあらんと麓に向かうと、途中に母が倒れていました。真魚は法力を持って岩を捻じ曲げ、洞窟を造り母を避難させ、念仏を唱えて嵐を静めた、と伝わっています。なお、この時より最御崎寺は女人禁制でしたが、解かれたのは明治五年でした。

七ノ四 鐘石
 薩摩芋《さつまいも》と馬鈴薯《じゃがいも》を合わせて、二で割った形のこの鐘石《かねいし》は、斑糲岩《はんれいがん》です。叩けば金属音が深く長く清く響き、耳を澄ませば、黄泉の国の家族くの声のように聞こえます。かつて、この鐘石は、一夜建立の岩屋の一隅とか、水掛地蔵菩薩群の前に置かれていましたが、今は、最御崎寺本堂正面・大師堂右脇に安住の地を得たかのように、威風堂々と存在感を以て鎮座しています。

七ノ五 明星石
 真魚(空海の幼名)が修行されているさなか、夜な夜な海中より毒龍(炎や毒煙を吐き、民衆を苦しめる龍)が現れ、様々な異形・妖怪の類を集め修行の邪魔をしました。堪りかねた真魚は真言を唱え、海に向かって涕唾《ていだ》を吐くと、海岸の石が星の如く光り始め、毒龍と異形の者共は光に恐れ戦き、逃げ去った。今は、この明星石を「幸せの石」として、お守りにしています。
七ノ六 目洗いの池
 真魚が三教指帰《さんごうしいき》を著し、仏教に帰依し、空海と号した頃、この池の水を加持祈祷し、民衆の眼病を治したと伝わります。水涸れ無く濁りなく清らかな水が、今に伝わっています。

七の七 行水の池
 真魚(空海)が、御厨人窟《みくらどう》を住居代わりに
勤行中、この清流に身を委ね沐浴した、と伝わります。また、目前の毘沙姑巌《びしゃごいわ》を愛で、岩を背に背中をこすった為に、岩は滑らかに、池の水は濁り未だ澄まずです。目洗いの池同様に、この行水の池も潮の干満に晒されながらも、真水という不思議な池です。

                         文 津 室  儿
          




1 件のコメント:

  1. 七ノ三中の「最御﨑寺の女人禁制が解かれたのは明治五年」に興味が湧きます。近くの図書館で見得る室戸史の図書は安岡大六氏の「室戸岬町史」(一九五三年発行)のみですが、その中に「明治四年六月廃仏希釈の令が出て、多くの寺が廃寺になった(たとえば三津の皆円寺、津呂の西光寺)。そして士族は神式に変わった。」との記述があります。廃仏希釈でお寺の力が弱められた故に女人禁制が解かれたと考えても良いのでしょうか。それともほかの理由があったのでしょうか。

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