土佐落語 道教《はんみよう》 60-5 依光 裕 著
山田の楠目から、ちくと片地《かたじ》寄りの談議所に銀さんという、それは異骨相《いごっそう》のじんまがございました。
山田という所は昔から里芋《たいも》作りが盛んでございますが、一日《ひいとい》のこと、銀さんが伏原《ふしはら》の里芋畑で草をむしっておりますに、
「じいさんよ。お岩権現へ行くにゃ、この道をどういったらえいぞのう?」
「お岩権現かよ?そりゃのうし・・・・」
詳しゅうに道を教える心算《つもり》で、わざわざ道端迄出て来た銀さんでございましたが、声の主は?と見てみますに、年の頃二十四、五の若い衆《し》が、手拭いで頬被りをしたまま立てっております。
銀さんはこれを見た途端、頭にカチン、胸にゴツン。急に腹が立ってきまして、おいそれとは道を教える気にはなれません。
”年上の者にモノを訊《き》くに、頬被りをとらんとは横着な若い衆じゃ”
至極尤《もっと》もな事でございますが、そこで銀さんがどうしたかと申しますに、
「若い衆、チクト待ちよったよ。今教えちゃるきに」
こう言うちょいて、自分も手拭いでわざわざ頬被りをしたと申しますから、存外地がツンでおります。
「さぁ若衆、最初から訊き直せ」
「最初から訊き直せち、どういてぜよ?」
「聞こえたけんど、聞えざった!」
たかで若衆は目をパチクリ。
「儂ぁ”お岩権現へ行くにゃ、どう行たらえいろう?”、こう訊いたと思うちゅうが」
絵 大野 龍夫
「お岩権現へ行くにゃ、どう行くぞのう?」
「若衆、そこへ行くにゃ、この道をズーッと西へ行く。ほいたら山田の街に入《はい》るが、それをまだ先へ行たら東町の丸中の竹ン家へ行きかかる。その竹ン家から西へ行かんと、竹ン家の西側《にしら》の小路を曲がって、牛市場の横を通るじゃ。えいか?そこを真っ直ぐに行くと大西の鉄ン家に行きかかる。その大西の鉄ン家の横の道を真っ直ぐに行ったら、今度は地蔵の武ン家じゃ。そこを真っ直ぐ行ったら、高柳の金熊《かねくま》ン家へ行くがのう。この金熊ン家へ行ったら、もう行き着いたも一緒じゃ。お岩権現は金熊ン家と目と鼻の先じゃきにじき判る」
山田界隈、土地の者なら銀さんのこの説明で合点が参りますが、他所者に判る筈がございません。
「じいさん。実は儂ぁ遠方の者でのう・・・・・・」
「そうじゃろう。この辺じゃ見かけんきに」
「ほんで、じいさんが言うた大西の鉄ン家も知らなぁ、地蔵の武ン家も高柳の金熊ン家も知らん。”そこまで行ったらお岩権現は目と鼻の先じゃ”と教えられても、儂にゃ、そのそこ迄が判らんがのう・・・・・・」
若衆が途方に暮れて申しますに、銀さんはちんと手鼻をかみまして、
「難儀な若衆にゃ。そこ迄が判らんについて教えちゃったじゃないか!」
分かったような分からないような、途方に暮れる難儀な噺でした。
写 津 室 儿
写 津 室 儿
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