2013年2月1日金曜日

室戸の民話伝説 第34話 加奈木の潰え(崩壊)


 第34話 加奈木の潰え(崩壊)

 佐喜浜川の源流を探れば、岩佐の清水である。この清き湧き水の由来は、寛治六(一0九二)年、堀河天皇の頃の文書に「イワサの水」の文字が見られ、古くから野根山街道は官道として整備され、旅人の咽の潤い場であったことが伺える。
 また承久三(一二二一)年に土佐に配流された土御門上皇が夏の盛り、岩間にほとばしる清水を口に含み、甘美と清冽をご賞味され、「岩清水」の名を下されたと伝えられる。
 岩清水と淸麗な名を頂いた佐喜浜川の源流は、「日本三大崩壊」の一つと数え、大規模な崩壊地、加奈木山に端を発している。
 今回は「加奈木の崩壊」を里人に予言して、小集落を救った姉妹の話です。
 佐喜浜川の源流域に段《だん》と云う小さな在所がありました。段と云う地名の如く、小高い丘に小さな家が点在して、木地師や平家の落人が住み着いた所と云われます。この集落の元をただせば、今より奥の加奈木山の安居《あんご》の池ヶ谷付近にあった、と云われます。
それが、慶長九(一六0五)年十二月・宝永四(一七0七)年十月・延享三(一七四六)年・安政嘉永七(一八五四)年・昭和二一(一九四六)年と続く南海地震のたびに加奈木山に潰《つ》えが発生しています。
 学者は、加奈木の崩落は慶長の南海地震より数百年前から起こっていた、と推察される、と発表しています。
 昔々もある日のこと、この辺りの百姓屋に、日頃見掛けぬ娘が一人訪れた。この家の親父が「何ぞ用かのう」と声をかけた。すると、「すまぬが手桶を二つ貸して下され」という。親父は不審に思い、何に使うぞと問うた。娘は「エビヶ渕の水を、妹と二人で汲んでみたい」と云う。親父は吃驚《びっくり》した。池ヶ谷から仰山の水は冬でも涸れず、絶えず流れ込み、渕は渦を巻き底知れないぞ。部落の者が総出でかかっても、とても汲み替えられるしろものでは無いは。妙なことを言う娘じゃ、と呆れ顔をしていた。「早く貸して下され」と、かき立てる、娘。親父は渋々手桶を貸してやる。娘は喜び手桶を手に、振り返りもせず渕へと一目散に走り去った。
                        絵 山本 清衣

 それからものの一時《いっとき》(約二時間)たったころ。妙に川が騒がしくなった。良く見ると水嵩が急に増し、ごうごうと音を立てて流れていた。雨も降らないこの上天気に、この増水は一体どうしたことよ!。さては、さっき娘が言った言葉を思い出し、エビヶ渕へいそいだ。こりゃまた一体どうしたことじゃ。渕の中では姉妹が脇目も振らずに、一生懸命手桶で水を掻き出していた。その手付きの早いこと、まるで山の神様が乗移ったかの様な早技じゃ。やがて、大きな渕の底も見え始め、大鰻やアメゴが、あっちゃヘウロウロ、こっちゃへウロウロ逃げ回っていた。それに渕の上の流れはぴたりと止まっていた。親父は呆然と立ち尽くす。きゅうに背筋が凍り、ぞっと寒気がして一目散に我が家に逃げ帰った。仏壇の前にうずくまり、手を合わせ祈り続けた。
 それから二時《にとき》も過ぎた頃、さきの娘がやってきた。手桶を返し、がっかりした様子である。娘が云うに「段の御爺よ、ここ二三年の内に大事が起こる。この辺り、天と地がひっくり返って、この段の地も無くなるだろう。早々に何処か良い高台へ立ち退いた方が良いぞえ」と言う。親父は合点がいかず、先程の渕の有り様を思い出し怖いながらも、「そりゃ一体どうしたことぞい」と問うた。娘は暫く黙っていたが、やがて心を決めたか「実は妾《わらわ》は娘の姿をしているが、本当は大蛇だ。あのエビヶ渕に棲むつもりで来てみたが、あまり水が汚れていたため、お爺に手桶を借りて干し上げた。さて新たな水を入れようとしたが、溜水が渕に流れ込まない。これは徒事《ただごと》ではないぞ。二三年の内に、天地がひっくり返る大変事が起きるお知らせじゃ。きっと加奈木の山が鳴動して山津波が起り、山が押し寄せてくるに違いない。そうしたら、ここらは地の底になろう。出来るだけ小高い場所へ移ったが良いぞ」と言い残し、姉妹は消えるように、立ち去った。
 親父は在所の人々に娘の話を伝え、自分は下手の小高い段丘に移った。(その後の段集落)中には、そんな馬鹿な阿呆なことが、と取り合わない者もいた、が。谷から引いてある筧《かけい》(樋)の水が涸れ、不気味に思い避難した。
 姉妹が去った後、雨が降らなくなった。次の年も、その次の年も一粒の雨も降らず耕作物も出来ず、ましてや杉桧の植林も出来ない旱魃が続いた。やがて、旧暦の八月五日に降り始めた土砂降りの雨は、七日七夜の間続いたが、十四日目にはぴたりと降り止んだ。
 しかし、その静けさも束の間、地の底から噴き上げる轟音が人々の腹の底をも揺すぶった。皆が山を見る。岩佐の関所あたりの加奈木山が倒れ、動き、地鳴りが襲い掛かってくる。恐ろしい一夜が明けた。いよいよ山が迫っている。誰かが「山が潰てきよるぞー、加奈木の山が」と、叫び家を飛び出し、小高い山へ走り逃げた。
 「よかったのう、よかった。あの姉妹は神様のお使いじゃた」と云って、村人は崇め敬い、祠を建てて祀り感謝を忘れなかった、という。
 その姉妹の、姉は安田の逆瀬川へ、妹は讃岐の国の満濃ヵ池の主となっている、と今に伝えられている。

                             文 津 室  儿
          

1 件のコメント:

  1. 岩佐の清水を二回は訪ねた記憶があります。味が今一つ思い出せません。野根山街道から外れて一度、加奈木の潰えを見ました。大岩の下に穴倉のようなところがあり、覗くと、真っ白でかなり大きい蛇がいて、びっくりしました。お話の姉妹ののちのちの子孫ではなかったか?それにしてもあの姿はあでやかでした。昔のこととなりましたが、今思い返して、なお不思議です。

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