土佐落語 法螺の貝 60-10 文 依 光 裕
明治の時分、物部川の奥に文作《ぶんさく》という男がございました。
三十歳の若さで、村の戸長を務めたと申しますから、なかなかの人物でございますが、おまけに”光源氏か業平《なりひら》か”という、男前でございます。
二里も遠方の役場へ、毎日通うておりますに、その途中の岩屋という所《く》に、酒も飲ましゃァ、饅頭も売る店屋《てんや》がございまして、ここな若嫁さんが、これまた”小野小町か楊貴妃か”という別嬪。
「戸長さん、お早うございます」
「お早う」
「戸長さん、今お帰りですか」
「やァ、オマサンも、もうおかんかよ」
朝晩たがいに挨拶をしておりますうちに、なにせ一方が光源氏なら、片や小野小町。ジキにジコンな間柄になりました。
「戸長さん、一寸寄って、お茶でも飲んでいきなんせ」
「亭主はまた高山詣りかよ?」
「アイ、若いクセに神信心らァして・・・・・。今度も先立で、石鎚さんへ行ちょります」
「神信心はけっこうなことじゃないか?」
「けんど戸長さん。山へ行くたァび”女を絶つて五体を浄めないかん”、こんなことをいうて、十日も二十日も前から、アテイを・・・・・!」
「寄せつけんかよ?」
「アイ。山へ行ったら行ったで、十日も二十日も戻って来ませんろう? ほんでアテイは・・・・・。」
「たまるか、モッタイない・・・・・!」
いかなジコン(昵懇)な間柄でも、話がこう無塩《ぶえん》(生《なま》)になってきますと、もういけません。いつしか二人は、人目を忍ぶ深い仲になってしまいました。
この情事《いろごと》というもんは、一回や二回では人の口にのぼりませんが、度が過ぎますと”天知る、地知る、人が知る”、人に知られてしまいますと、”世間の口”には戸が閉《た》てません。
絵 大 野 龍 夫
「おい、今日からまたお山へ行てくるきに」
「アイ、気をつけて行てきなんせ」
店屋の若嫁さんは、愛想良うに亭主を送り出しまして”鬼の居らんうちに洗濯”、さっそく文作との情事でございます。
ところが、亭主の方は女房の噂を耳にしておりまして、お山へ行くそうをして、コッソリ見張りよったきにたまりません。
現場も現場、濡れ場の真ッ最中へ、イキナリ踏み込まれましたので、ソコスンダリ。さァ、着るもんもよう着ますもんか。文作はほんでも逃げましたが、若嫁さんは亭主にビットコまえられまして、丸裸のまま、店先の柱へ縛りつけられてしまいました。
「あんなガイなことをしゆが、亭主はあの女房をよう帰《い》なすろうかネヤ?」
「あんな別嬪を、よう帰なすか!」
近所の者は店屋を遠巻きにして、ウゲコトかやりよりますが、事件《こと》が事件《こと》だけに、そこは無責任な弥次馬でございます。
「オンチャン。オマンは発句が上手なが、一句できんかよ?」
「面白い、やってみろうかネヤ!
〽高山駆ける先立が 人にも貸さぬ法螺の貝
戸長が吹いて ナリ(鳴り)の悪さよ」〽
写 津 室 儿
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