2013年3月22日金曜日

土佐落語  法螺の貝  60-10


     土佐落語  法螺の貝  60-10      文  依 光   裕    

 明治の時分、物部川の奥に文作《ぶんさく》という男がございました。
 三十歳の若さで、村の戸長を務めたと申しますから、なかなかの人物でございますが、おまけに”光源氏か業平《なりひら》か”という、男前でございます。
 二里も遠方の役場へ、毎日通うておりますに、その途中の岩屋という所《く》に、酒も飲ましゃァ、饅頭も売る店屋《てんや》がございまして、ここな若嫁さんが、これまた”小野小町か楊貴妃か”という別嬪。
 「戸長さん、お早うございます」
 「お早う」
 「戸長さん、今お帰りですか」
 「やァ、オマサンも、もうおかんかよ」
 朝晩たがいに挨拶をしておりますうちに、なにせ一方が光源氏なら、片や小野小町。ジキにジコンな間柄になりました。
 「戸長さん、一寸寄って、お茶でも飲んでいきなんせ」
 「亭主はまた高山詣りかよ?」
 「アイ、若いクセに神信心らァして・・・・・。今度も先立で、石鎚さんへ行ちょります」
 「神信心はけっこうなことじゃないか?」
 「けんど戸長さん。山へ行くたァび”女を絶つて五体を浄めないかん”、こんなことをいうて、十日も二十日も前から、アテイを・・・・・!」
 「寄せつけんかよ?」
 「アイ。山へ行ったら行ったで、十日も二十日も戻って来ませんろう? ほんでアテイは・・・・・。」
 「たまるか、モッタイない・・・・・!」
 いかなジコン(昵懇)な間柄でも、話がこう無塩《ぶえん》(生《なま》)になってきますと、もういけません。いつしか二人は、人目を忍ぶ深い仲になってしまいました。
 この情事《いろごと》というもんは、一回や二回では人の口にのぼりませんが、度が過ぎますと”天知る、地知る、人が知る”、人に知られてしまいますと、”世間の口”には戸が閉《た》てません。

          絵  大 野  龍 夫 

 「おい、今日からまたお山へ行てくるきに」
 「アイ、気をつけて行てきなんせ」
 店屋の若嫁さんは、愛想良うに亭主を送り出しまして”鬼の居らんうちに洗濯”、さっそく文作との情事でございます。
 ところが、亭主の方は女房の噂を耳にしておりまして、お山へ行くそうをして、コッソリ見張りよったきにたまりません。
 現場も現場、濡れ場の真ッ最中へ、イキナリ踏み込まれましたので、ソコスンダリ。さァ、着るもんもよう着ますもんか。文作はほんでも逃げましたが、若嫁さんは亭主にビットコまえられまして、丸裸のまま、店先の柱へ縛りつけられてしまいました。
 「あんなガイなことをしゆが、亭主はあの女房をよう帰《い》なすろうかネヤ?」
 「あんな別嬪を、よう帰なすか!」
 近所の者は店屋を遠巻きにして、ウゲコトかやりよりますが、事件《こと》が事件《こと》だけに、そこは無責任な弥次馬でございます。
 「オンチャン。オマンは発句が上手なが、一句できんかよ?」
 「面白い、やってみろうかネヤ!
〽高山駆ける先立が 人にも貸さぬ法螺の貝
 戸長が吹いて ナリ(鳴り)の悪さよ」〽

                            写  津 室  儿

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