2013年3月1日金曜日

室戸の民話伝説 第35話 物言う鯨・鮹と勝負した話・日沖の大碆の鮑


35    物言う鯨 35-1

 古式捕鯨が始まって間もなくの頃、と言うから寛永時代(約四○○年前)の話で有ろう。三津浦に、岩貞曽右衛門言う羽指《はざし》がいた。
曽右衛門は努力の人で一番羽指を勤め、よく漁をする漁男《りょうおとこ》だったという。
 そんな腕利きの曽右衛門が、ある日の漁で、「子持ち鯨は夢にも見るな、の箴言。子鯨に対する愛情は人間をも凌ぐと云われる」子持ちの背美鯨に挑んだ。先ず、子鯨から捕り掛かる。その時、子鯨の危機を感じ取った親鯨が不意に子と羽指の間に分け入り、手練の曽右衛門を手羽《たっぱ》で打ちのめした。曽右衛門は一撃のもとで死んだ。誠に背美の子持ちは恐ろしい、と浦人達は戒めあった。
 鯨の漁期もあけ数ヶ月、浦も夜釣りの季節に移った。隣の弥五郎が夜釣りに出かけた。その夜は、稀に見る大漁だった。そろそろ帰り支度に取り掛かると、沖の方から鯨が浮きつ沈みつしながらこちらに来る。弥五郎は恐れおののき、逃げ戻ろうとする。いよいよ近寄って来て鯨がものを言うた。「久しく遇わなかったがゆかしいなあ~」と声を掛けてきた。その声は、たしかに羽指の曽右衛門、少しも変わらない声に、あろう事かと恐れ逃げ帰った。
 その一夜のことは、誰彼《だれかれ》や女房にも話さずに居た。そのせいか、何事も起こらず変わりない夜が続いた。弥五郎はあの夜の大漁が忘れられず、又、夜釣りに出かけた。すると、あの夜の鯨が浮き沈みして近より、ものを言い掛けてきた。二度の怪奇に遭遇した弥五郎は驚き、腰を抜かしながら逃げ帰り、ことの次第を妻子に話した。すると妻子は忽ちに乱心した。この狂気乱心は、様々な祈祷をしても治らなかった。子持鯨の祟りじゃろう、と話し合った浦人は、子鯨塚を建てて供養をすると、弥五郎の妻子は回復した、という。  げに奇怪な話しよのう。

               絵 山本 清衣

   鮹と勝負した話 35-2

 三津に船おんちゃんと言う大工がおった。曰《いわ》く、船大工である。三津浦の漁師、覚治《かくじ》おんちゃんが話し始めるに、「船おんちゃんは、一月《ひとつき》に三十五日働く働き者じゃった」と、いう。ある日、船おんちゃんがひょっこりやって来て、「ほんまに昨夜《ゆうべ》はやられた」という。「どうしたなら」と聞いたら「鮹《たこ》と勝負をした」と船おんちゃんが言うに、「茄子《なす》を海岸ぶちの畑に作っちょる」所が、毎晩茄子をちぎられて仕様がない。そこで、「わりゃ、人が一生懸命に作っちょるもんを盗りやがって、見よれ」と、一晩、夜通し待ちよった。そうしよったら、頭がピカピカ光る坊主が来た。覚治おんちゃん、かまえちょった荷内棒で、頭に一発ぶちこました。そしたら、逃げる逃げる。追わえて押さえて見ると、なんとざまんな《大きな》鮹じゃった。鯨が遊ぶ三津の海じゃき、こんなざまな鮹も居ったもんよのう。
 幕末の絵師金蔵は、笑絵の中に満月の夜、里芋を担いで逃げる大蛸を描き、また弟子の河田小龍も、胡瓜《きゅうり》を背負って桂浜に逃げる大蛸の姿を描いている。

     日沖の大碆の鮑 35-3

 椎名の日沖に「大碆《おおばえ》」という大きな碆がある。この大碆に、稀代未聞《きだいみもん》の大鮑《あわび》が張り付いておったそうな。なんと箕《み》(農具)ばああった。その鮑に鉄梃《かなてこ》を八本ぶち込んで、舟二艘で曳き漕いだが離れざった、と。
 ほんで暫く放っちゃあった。所が、それを近くのコウロウ(石鯛《いしだい》)が嗅ぎつけた。この魚はサザエやアワビが大好物ながよ。鉄梃をぶち込まれ、アワビの汁が流れたろう。それを嗅ぎつけて来があよ。それで何とかしようとしたが、何とも太いきんどうにもならん。
 それじゃあと言うことで、室戸岬の鼻に居るコウロウの親分の所へ相談に行った。相談を受けた親分、何とかせんと沽券《こけん》に関わるというた。その親分の姿形は、なんと畳一枚半ばぁあるという。件《くだん》の大鮑、鉄梃を八本もぶち込まれ、少々堪《こた》えちょる。親分は歯がえらき(強い)鮑の殻を食い破ったが、一匹じゃあ食い切れん。そこで自分の一族を呼び寄せた。上《かみ》は甲浦から下《しも》は羽根崎まで、狼の千匹連れならぬ、コウロウの千匹連れよ。それらがやって来て、食いついて食いついて、とうとう喰うてしもうた、と言うきに大したもんよのう。
 日沖の大碆に、あんまり一杯コウロウが押し寄せて来もんじゃきん、大碆の周りの海が真っ黒になって波立った。見ていた者は、こりゃ龍宮さんが怒ったにかあらんいうて、浦人皆なが漁を休み、神さんにノリトをあげたり、仏さんに祈ったそうな。
 そりゃそりゃ、大騒動な一日《ひいとい》じゃったそうな。               

                            文 津 室  儿
          

 

1 件のコメント:

  1. 本日多摩地域では春いちばん?の風が吹いています、室戸岬はいかがですか。
    高校時、土埃りや雨でぬかるむ未舗装の国道55号線を、同輩仲間に連いて片道1時間半弱の自転車通学をしました。椎名坂から見た日沖の海の色が思い出されます。いつか日沖漁港の傍らに、終戦前年に撃沈された滋賀丸の遭難者慰霊碑が建てられましたね。司馬遼太郎の大要次の文章を読んだ記憶があります。「(土佐人は)豪快な明るさの中に、何か哀しみの如きものを隠しているように感じられるのはなぜだろう。台風が毎年襲い来る土地である。人為の空しさ。昔から配流の地でもあった。人々は祖先から生きてきた記憶の堆積の内に、人生への諦観の如きものを持たざるを得なかったのか」と。同感するときがあります。
     はるかなり 室戸の海よ 今日は凪いでか(拙作)
    戦後、日本は平和と繁栄を享受してきたと思いますが、東日本大震災以降世界観や死生観が変わった、と発言する人も多く、最近のマスメディアには、都市で縁をなくした人達の孤独、を考える番組や記事が頻出しています。故郷に帰りたくても帰ることが出来ない現実があり、一人となっても今ウラシマにはなれまいとなると、なおさら望郷の念が湧くときがあるのではと思います。
    ご紹介されている、郷土の素朴な民話・伝説とともに、故旧忘れうべき、そんな思いが、ジオパーク等を進展させる未来指向でもって地元で活躍されている土佐人に羨望を感じつつ、めぐります。
    好き放題を言って失礼しています。ご叱正ください。

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